探し求めていたエピソードがこのDVDの第30話にあった。
こんな話だ。
こんな話だ。
206年、曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)の残兵を蹴散らし続け、冀州(きしゅう)・青州(せいしゅう)・幷州(へいしゅう)・幽州(ゆうしゅう)の4州の攻略を果たす。袁紹は激しい憤りの中で血を吐いて急死し、ついに曹操が漢(かん)における最大勢力の軍閥の長となった。
・・・(04)西暦206年 曹操 冀州に入城曹操は再び袁紹の残兵を討ち破り、冀州・青州・幷州・幽州を攻略。袁紹は憤りの中で吐血して急死。曹操は袁紹に代わり、漢で最も勢力のある軍閥となった。許褚(きょちょ)が街中で暴言を吐いていた許攸(きょゆう)を殺す。曹操が陳琳(ちんりん)を召し出し、その文才を高く評価したうえで配下に加える。曹操が荀彧(じゅんいく)の進言を容れ、袁紹の内府から見つかった書簡を焼くよう命ずる。これらは曹操配下の者たちが袁紹に宛てて書いたものだった。しかし曹操は曹丕(そうひ)に命じ、これらの書簡をセイヨウ門(?)の外に持っていき、皆の面前で焼き払うよう命じた。許褚が曹操に、許攸を斬ったことを報告して処罰を乞う。曹操は許褚の首を刎(は)ねるよう命ずるが、皆が助命を乞うたため死罪は免ずる。曹操は荀彧の進言を容れ、許攸を手厚く葬り、上奏してトウヨウ侯(?)に封ずることにする。そして許褚は厳罰に処し、許攸の墓前で謝罪させることにした。結局、許褚は歩兵に降格して馬の世話係とされ、三月(みつき)の間、酒を絶つよう命ぜられる。さらに許攸の墓に行ってぬかずき、許しを乞うよう言いつけられた。退出後、許褚は荀彧に、禁酒だけは何とかしてほしいと頼むが、一喝される。荀彧は曹操が許褚にかけている期待を明かす。これを聴いた許褚は奮起し、荀彧を三拝して去る。
もう少し詳しい話はこういうことだ。
陳琳は曹操討伐の檄文を書いていた。ほかの文官たちも他の万が一の時のために袁紹に袁紹勝利の時は輩下なるという手紙を送っていた。曹操が撰州に入場すると袁紹の内府からそれらの書簡が見つかった。
曹操はそれらを少し目にしてから、「見たくない。見れば腹が立つ。ふんっ」と言う。
息子の曹否はこう言う。
「父上から禄や温情を受けておきながら密かに裏切った者たちの証拠です。誰が書いたか調べればわかります」
曹操「調べてどうする?」
曹否「斬るのです」
曹操「斬る? それならわしも斬られなければならない。わしもかつて袁紹と書簡を交わし、へつらったことがある。袁紹殿はまさに天の如き、とこしえの鑑と書いたぞ。彼らのやったことは十分理解できる。わしが袁紹に負けたときのために退路を確保しておいたのだ」
荀彧(じゅんいく)は、それらの書簡を焼いて、武将・文官を許し、丞相の心の広さを示すべきと進言する。
曹操は曹丕に「これらの書簡を城外の門に持っていき、皆の面前で焼き払うよう」と命じる。
「武将・文官の面前で焼き払うのだ。そして、こう伝えればよい。過去のことは全て不問に付すと」
デイリーモーションでこの場面をビデオを見ることもできる。
デイリーモーションでこの場面をビデオを見ることもできる。
https://www.dailymotion.com/video/x4tg78m
密かに裏切った武将・文官をどう処すか?
裏切った証拠の書簡を読まずに、それらの者たちの前で焼き払う。
それが曹操の心の広さを理解し、曹操により忠誠を誓うことになる。
曹操はそう考えた。
ある同僚からこの話を聞いたのが、『三国志』に興味をもった最初だった。
私は『三国志』をまったく知らず、この話も正確に理解できなかった。
この話が本当なら、曹操は1800年以上前にそういう体験をしている。
時代が変わっても同じような話はどこにでもある。
このエピソードは、横山光輝『三国志』にはない。
横山光輝の『三国志』から、官渡の戦い自体がコミック本になるときにカットされたようだ。
その理由はわからない。
しかし、その同僚はこの話をどうしてよく記憶していたのだろうか?
考えてみれば、そっちのほうが不思議だ。
裏切った証拠の書簡を読まずに、それらの者たちの前で焼き払う。
それが曹操の心の広さを理解し、曹操により忠誠を誓うことになる。
曹操はそう考えた。
ある同僚からこの話を聞いたのが、『三国志』に興味をもった最初だった。
私は『三国志』をまったく知らず、この話も正確に理解できなかった。
この話が本当なら、曹操は1800年以上前にそういう体験をしている。
時代が変わっても同じような話はどこにでもある。
このエピソードは、横山光輝『三国志』にはない。
横山光輝の『三国志』から、官渡の戦い自体がコミック本になるときにカットされたようだ。
その理由はわからない。
しかし、その同僚はこの話をどうしてよく記憶していたのだろうか?
考えてみれば、そっちのほうが不思議だ。