三島由紀夫の割腹自殺事件って、何を訴えていたんだっけ?
あらためて思い出すと、確か自衛隊に天皇の国を守れとかなんとか言っていたような....。
二・二六事件は北一輝などの右翼的思想に触発された一部の軍部がやったことって学校で習ったような気がするが、それと三島由紀夫って関係あるの?

いろんな疑問を持ちながら、この本を読んだ。

三島にとって、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統」を守るために「憲法に体を」ぶつけるとは、何を意味したのか・超越的存在を失った時、人は永遠の疎外状況に身を置かざるをえなくなる、ここに、三島の危機意識があった。

三島の国体論においては、必然的に神意=天皇は理性に対する情動、エモーション、狂気、無秩序の側にあり、・・・ロゴスではなく、パトスをその本質にしなければならなかった。

というようなことが書いてある。

三島の割腹自殺事件に影響を与えたのが、二・二六事件であり、二・二六事件の背景となったのは北一輝の思想だという組み立てなのだが、この論理構成で気になるのは「純粋性」と「絶対性」ということだ。
著者の野村氏の理解では、北一輝の思想自体が、「土偶」信仰としての天皇制というようなことを言ってみたり、アジア解放と貧民救済がくっついたりと純粋な思想とは程遠い。しかし、二・二六事件の蹶起に参加したものの中には、北一輝の思想の純粋性に惹かれたものもけっこういた。その一方で、家族に母への孝行を頼んで自分は「馬鹿者でした」と懺悔する生活者もいた。
二・二六事件は天皇を絶対性の超越者と位置付ける国家を構想することを、参加者が純粋に貫けたわけでもない。それは裁判記録を見てもわかる。しかし、その蹶起行為自体がエロチシズムを実現する過程であったことは参加者全員に共通するってことなんだろう。

三島由紀夫が『金閣寺』を書いたことは、絶対的な美しさとして記憶した金閣寺がそうでなくなる失望から「焼く」ことを思い立った主人公の話だ。
美しくない金閣を思うと、勃起しなくなる主人公がいた。焼くことはエロチシズムの実現だった。

三島由紀夫の自身の事件もまた、絶対で純粋なものを不純に実現する過程だったのかもしれない。そこに三島のエロチシズムがあったのだろう。

=============
以下は、野村幸一郎講演を聴いた後の感想。

先日聴いた野村幸一郎講演がとても面白かった。
50年前に市ヶ谷の駐屯地で三島由紀夫が演説の後、割腹自殺した「楯の会事件」と二・二六事件の関係を説いたもの。
二・二六の青年将校たちに影響を与えたと思われている北一輝の政治思想は、アジア主義、社会民主主義、天皇機関説、貧民救済、天皇明徴論などの入り交じったものだった。磯部浅一ら青年将校はアジア主義や天皇機関説は無視して、貧民救済と天皇と一体となる思想に曲解して天皇の周りにいる人たちを殺した。北一輝自身、自分は事件と関係ないと裁判で述べている。
そして、昭和天皇は自分の侍従たちを殺した青年将校たちに怒り、その行為を理解もしなかった。
三島由紀夫は、昭和天皇ではなく、磯部らにシンパシーを感じ、いや崇拝し、自衛隊員の前で「憲法に体をぶつけよ!」という演説をして、自殺した。
憲法第九条ではなく、むしろ憲法第一条の象徴天皇制が変えるべき対象だった。
三島由紀夫の思想は強烈な毒だ、という野村氏の解説は戦後日本が歩んできた歴史を考えさせられた。
『金閣寺』の頃の三島は、放火した主人公の溝口を「生きようと思った」と結び、戦後社会と折り合いを付けようと思っていたらしい。
しかし、「激」を書いた頃の三島は、自分のなかにある二・二六事件を起こした磯部らの精神を抑えきれなかったのだろう。
天皇という存在または精神が生む日本の毒が今もあると思う。