書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

2009年12月

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)
立花 隆・佐藤 優
文藝春秋
2009-10-17


 佐藤氏は教養についてこう言っている。

 「教養は<知>の世界に入るための入場券だと思います。・・・北朝鮮で<全人民の教養><全人民のインテリ化>といったスローガンがありますが、北朝鮮の教養と言ったら、要するにチュチェ思想の体系的な知識のことです。その社会で生き残っていくための基本的な<知>が教養なんだとわかった。」

 教養をその社会の上部層がもつ高級な知識のように捉えられる風潮もある。けれどそれは上層部に属する人間が上層部で生き残るために必要な「知」なのである。それぞれの社会に「教養」があり、その社会のなかでも階層によりその内容は違う。教養をある集団におけるサバイバルのための知識ととらえると、「教養の低下」だとか「現代の教養を疑う」などという批判がくっきりした輪郭をもった問題として見えてくる。どの集団の「知」を基準にして語るのかが大事なのだ。



 この本のサブタイトルは「必読の教養書400冊」となっている。しかしここいう「教養」は、あくまで立花氏や佐藤氏にとっての教養だ。政治から科学まで幅広いジャンルの第一線ジャーナリストとしてサバイバルするための「教養」であり、また外交のインテリジェンスの世界でスパイのようにサバイバルするために必要な「教養」なのである。

 ここで語られる本のジャンルの広さには驚くが、リストをよく見ると佐藤氏の本は外交上のものが多く、立花氏のものは記録ものが多いという傾向も読み取れる。紹介されている本は、DNA発見者のトーマス・ワトソンからユング、ヒトラー、ヘロドトス、ヴィトゲンシュタイン、レーニン、ハイエクから西郷隆盛、カフカから近松門左衛門まで幅広い。それだけでなく、スパイ小説で世界のダークサイドを知れ、という教養主義に対する忠告もある。

 この本のリストだけでも、立花隆が「知の巨人」と呼ばれ、佐藤優氏が「知の怪物」と呼ばれる理由がよくわかる。

 「古典の読み方、仕事術から、インテリジェンス、戦争論まで21世紀の知性の磨き方を徹底指南」という本の帯のコピーはこの本の特徴をホントに言い当てている。



 佐藤氏はスパイ容疑で逮捕されたとき、ソ連の粛正の記録である『夫ブハーリンの思い出』や『山椒魚戦争』などのSF小説を読んでいたことが、自白から逃れるのに役立ったという。危険な外交官としてソ連崩壊の人間模様を見た体験と日頃からの読書体験が獄中で自白の誘惑から救ったというのだ。この人にとっての教養は本当にサバイバルのための「知」である。



 教養は自分が属したいと思う集団で生き残るための知識である。自分がどの集団(国家、組織、階層など)に属したいのかという問題こそ重要なのだ。

サービス・マネジメント
カール アルブレヒト
ダイヤモンド社
2003-04


 サービスマネジメントのフレームワークであるサービストライアングルを中心にサービスマネジメントの方法が説かれている。

 サービストライアングルとは、「顧客」を中心に「サービス戦略」「システム」「人」の三点を結ぶ図で示されるサービスマネジメントを捉えるフレームワークである。

 サービストライアングルは、顧客の経験のクオリティをすべての「真実の瞬間」において直接的、間接的に最大化するためにマネジメントに役立つフレームワークともいえる。



フレームワークとしてのサービストライアングル



 サービス戦略と顧客を結ぶ線は戦略を市場に対して伝達させるプロセスを表している。企業が顧客に価値ある存在であることを認知してもらう必要がある。

顧客と企業を結ぶ線は「真実の瞬間」において重要な意味をもつ接触や相互作用のポイントを表している。

 顧客とシステムを結ぶ線はサービスの提供を支援するもの。システムには抽象的な手続きのシステムも物理的な要素も含まれる。

 人とシステムを結ぶ線はやる気のある人がクオリティの高いサービスを提供できるようにシステムは設計される必要があるし、常に改善されなければならない。

サービス戦略とシステムを結ぶ線は物理的なシステムと管理上のシステムの設計と配置がサービス戦略の内容と論理的につながっていることを意味している。

 サービス戦略と人を結ぶ線はサービスを提供する人に対し、マネジメントは自らが設定した明確な哲学を通じて便益をもたらすべきだということを意味している。明確な視点、判断基準、優先順位がなければ社員にサービス・クオリティに注目してもらうことは難しい。



・優れたサービス戦略とは



・・単にやりたいことをしめしたようなものではない

・・他社との差別化を明確に進めるものである

・・顧客の視点で価値あるものが示されている

・・自社で提供可能である



サービス・パッケージとは



顧客に対して提供されるモノ、サービス、経験の総和である。



サービス戦略:ビジネスの定義

サービス・パッケージ:オファーの定義

サービス・システム:サービスの提供

サービス・パッケージは、環境、感覚、人間関係、手続き、提供物、情報、財務の7つの特性から捉える



 サービスマネジメントの実例として、ディズニーや病院、流通などさまざまな業種があげられている。

 サービスマネジメントを単にサービスに対する人の管理と捉えるのではなく、サービスに対するその企業の戦略、システムの構築、人の管理(価値の創造を伴う)ととらえるところがこの本の優れたところだ。



 サービスマネジメントのフレームワークを理解する上では良い本だと思う。

失敗から学ぶeラーニング
和田 公人
オーム社
2004-05


 日本初のeラーニング通信制大学の八洲学園の理事長が書いた本。

 eラーニングはあくまで教育の一手段であるというスタンスでその限界を知った上で、どうすれば効果的な教育が行えるかを述べている。40歳代の若い理事長だが、教育に意欲的だ。

 大学業界でのベンチャーはこういう形でないと難しいのかもしれない。大学はブランド性、地域性の制約が強い市場だ。八洲学園はそれらから開放された形の大学である。しかし、サイバー大学など競合の出現により募集エリアの広域性が、逆にライバルの出現がどこからでも現れるという脅威になる。

 手段としてのeラーニングを考える場合、大学システムのどの部分をIT化により効率化するか、授業にどのようにeラーニングの有効な方法をとりいれるかがポイントになるだろう。学習者管理システム、授業そのものなどそれぞれどういう目的でIT化するかが大切だ。しかし実際には、IT企業からの強力な売り込みがあったからとか、他大学もやっているからとか、委員会が立ち上がったからなどの理由で導入している大学も多い。そういう大学はコストと効果の問題が徐々に深刻になりやがて消滅する。

 八洲学園はすべてを学習者支援システムをすべてIT化して効率化している。eラーニングもすべてLIVEというシステムにより、通学制に近い環境をつくっている。 画面を見ると教材提示の自由度や理解度のボタン設置、受講者のチャットでの授業参加など工夫が凝らされている。

代表的日本人 (岩波文庫)
内村 鑑三
岩波書店
1995-07-17


 これは内村鑑三が職を失い文筆業で生活している時期に内村の理想とするキリスト教的世界と共通した倫理観をもって生きた日本人の伝記を解説した英書の日本語訳である。

 この本の解説にもあるが、もし内村の晩年にこの人々のことを書いていたらもう少し批判的な書き方になっていたのかもしれない。

 この本に登場する5人の日本人、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人に共通するのはその道徳観と行動である。自分の利益よりも社会の利益を優先し、質素を好み、自分の死後に残る世界の繁栄と平和までを考えて行動する。

 ビル・クリントンが日本人で最も尊敬するのは上杉鷹山だと言ったのは、この本を読んだかららしい。 

 『代表的日本人』ではどれも内村鑑三的なキリスト教世界観と合致するように日本の徳のある偉人たちが描かれている。そういう意味では誰もしっくりこないのだが、中江藤樹の記述には教育の原点を考えさせられる。

 母親を養うために養子に出されていた四国での武士の身分を捨て、近江(高島郡小川)に戻り、金貸しなどをした後、生活のために私塾を開く。ここで読み書きや朱子学、陽明学を教えるのだが、人の道を説くその名声がやがて全国に広まる。

 学識があるのが学者でなく、徳がなければ学者でない。人生の目的は学者になることでなく聖人になることである。日々善を積み重ねることで徳を得られる。

 では善とは何なのか? 徳とは何なのか?が疑問になるが、この先は陽明学を学ぶことで少しは解決するのかと思う。

 有名になるつもりはさらさらないのに、中江藤樹を全国的に知らしめたのは偶然だけでなく時代が中江藤樹の道徳を求めていたのだろう。




 西郷隆盛の遺訓が現代語の解説で読める本。サブタイトルは、無事は有事のごとく、有事は無事のごとく。

 西郷隆盛がどうして時代を超えて支持されるのかがわかるような気がする。



 西郷隆盛と大久保利通の違いは、西郷がかつて僧・月照と心中して命を失いかけたこと、大久保が欧米視察に行っている間、日本にいて欧米の都市や生活を実際に見ていないことの2つが大きいように思う。

 命を人に与えても良いという西郷の思い。大久保が西欧を理想としたのに対して、西郷は自らの理想の中に西欧の良いところを取り入れるというビジョンの描き方の差があるのだろう。

 しかし遺訓を読むとどうして西郷が征韓論に破れて下野したのか、どうして西南戦争に参加したのかがわかるような気がする。

 徳川幕府に失望して、明治維新により新政府をつくったまではよいが、かつての薩長の志士たちが西欧の贅沢な生活にふけり、手にした権力を振りかざし、旧階級を貧困に陥れている。こういう事態の推移に我慢できなかったのだろう。



 私の尊敬する人は大久保利通だが、大久保にとって、親友の西郷が西南戦争で命を落としたことは、歴史の逆回転に映ったのだろうか、それともこれを機に堕落した新政府が反省することを期待したのだろうか。



 そんなことも考えさせられる西郷どんの遺訓である。


このページのトップヘ