衝撃的におもしろい本。

今年のノンフィクション部門No.1にしたい。

この本のサブタイトルは、「最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質」。
MBSの『情熱大陸』で将棋のAIソフト「ポナンザ」が佐藤名人に勝ったことを知った。
そのポナンザを作ったのが山本一成。
東大の将棋部だったとか。
アマチュアの将棋五段でもある。
『情熱大陸』では北海道のどこかのすごい設備で、ポナンザのディープラーニングをやっている映像がすごかった。
人間の将棋名人に勝つレベルのAIは、北海道の秘密の地で、低温の地下室を作り、すごい電気を費やして高性能のCPUを積んだコンピュータを動かしている時代になったのだ。

この本に書かれていることのどれも、ある意味とても哲学的に思えた。

著者は知性と知能をこう定義する。p.171

知性=目的を設計できる能力
知能=目的に向かう道を探す技術

AIは知能ではあらゆる分野で人間に勝つレベルになった。
しかし、知性では今のところ、プログラム言語は目的を設計できない。
最終目的、たとえば将棋に勝つという目的は設定できても、その中間レベルの目的を設定することには向かない。
著者はその目的や中間の目的を設定することを知性と定義する。

山本「人間に残されたのは言葉と論理だけじゃないかな」p.283

これはマルクスが「哲学として残るのは、認識論と論理学だけ」と言ったことと似ている。
あらゆるバイアスまみれになっている人間。
例えば、将棋で美濃囲いとか穴熊囲いとかがあるが、もっとも短い手順でAIはその囲いに到達する。

穴熊がかっこ悪いとか逃げているとか考えない。
矢倉が美しいとかも人間が将棋の求める美にすぎない。
倫理とかも同じなんだろう。
美とか倫理とかは歴史的に形成されたバイアスの集大成なんじゃないかな?

山本氏がいう知性と知能の定義はとても哲学的だと思う。
人間社会が知性を作り、それを継承していくのだろう、これからも。
AIにはとても非効率的で不合理なプログラムだと思うけど。

AIが人間の職業を奪うとか、コンピュータが人間を滅ぼすというのもおそらく杞憂だろう。

人工知能が危険になるかどうかは、意外なことに「人類自身の問題」p.198

これは1945年に原子爆弾を人間が人間に使ってしまった問題と同じなんだろう。

そう考えると未来は明るくもあり、暗くも見える。