『貞観政要』は太宗(李世民)の記録から帝王のあるべき姿を追求した名著というのが一般的な読み方だろう。
しかし、この書、読んで記憶に残るのは太宗より、むしろ側近の魏徴(ぎちょう)だ。魏徴は太宗を殺そうとした兄の側近だった。しかし、太宗は魏徴の能力を評価して自分の側近にした。魏徴はうるさ型の臣下。いつも太宗のいけない点を批判する。魏徴の視点から見ると、『貞観政要』はリーダーの書ではなく、勇敢なフォロアーの書なのではないのか?
貞観政要のテーマのひとつが「諫諍」。諫言の「諫」。魏徴ら諫める臣下の行動を書いている。
諫める方法もいろいろある。
幾諫(きかん):それとなく諫めること
規諫(きかん):枠にはめるようにきつく諫めること
切諫(せつかん):心を込めて強く諫めること
泣諫(きゅうかん):泣いて諫めること
直諫(ちょっかん):相手の思いに逆らって強く諫めること
極諫(きょくかん):もうこれ以上ないというぎりぎりまで諫めること
死諫(しかん):死んで主君を諫めること
魏徴はときには命を賭して、太宗に諫言した。
魏徴が亡くなったときに、太宗は「自分は三つの鏡を保持して、自身の過ちを防いできた。魏徴が亡くなって、ついにその一つの鏡を失ってしまった」と久しく涙を流した。太宗がいう三つの鏡とは、一つは自分の姿を写す鏡。もう一つは歴史の鏡。最後は人という鏡。諫言をしてくれる人、自分を批判する人なのだ。魏徴が亡くなって誰も自分に諫言してくれる人がいないと太宗は嘆いた。
実際に太宗の唐は魏徴の死後、魏徴が諫めていた朝鮮出兵を実行し、制圧を失敗する。
魏徴は、勇敢な部下、ザ・フォロアーシップだったのだ。
晩年、太宗は帝王の座を息子に譲ったが、その息子は気が弱く、よい後継者を選んだとは言えなかった。しかし、その分、賢明な皇后・則天部が事実上、唐の拡大に貢献した。
これもまたフォロアーシップのあり方ともいえる。