書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

2020年04月

リーダーを目指す人の心得 文庫版
トニー・コルツ
飛鳥新社
2017-06-09


ブックカバーチャレンジ3冊目は、コリン・パウエル『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社)。
河合隼雄『こころの処方箋』がカウンセリングルームでヒソヒソ話す相談事だとすると、この本は戦場や軍隊というシビアな場所での教訓話。なのになぜか似ている気がする。たぶんギリギリのところでふっと励まされる感覚があるところかな。
湾岸戦争の時、統合参謀本部議長として「砂漠の嵐」作戦を指揮して、その凜々しい姿で国民的英雄になり、一躍有名になった。その後、ブッシュJr.政権の国務長官を務めた。
よく読み返す章がある。

「指揮官は戦場のどこにいるべきか」
指揮官が先頭にいれば、隊を鼓舞できるが、その瞬間、生き延びようとあがくひとりの歩兵に過ぎない。部隊全体をみることもできないし、部隊を適切に動かすことも出来ない。
砂漠の嵐作戦の時、軍のトップのパウエルはペンタゴンにいた。思ったより戦闘が長引いて世論が動揺し始めた。そこでペンタゴンで記者会見を開き「まず孤立させ、続いてとどめを刺します」と述べた。国民感情が一転した。指揮官は戦場のどこにいるべきかの問いの正解は、自分の存否が成否を分けるところとか。その見極めが難しい。

「着任30日が過ぎれば、言い訳はできない」
着任30日過ぎれば、もう自分の責任だという教訓。着任後、不満があったら、最初は前任者のせいにしていい。次には軍隊を再編する。30日過ぎても不満を言う者は去るべきということ。

「消せない過ちーーイラクの大量破壊兵器についての誤解」
パウエルにとって消せない過ちとは、CIAの調査報告を信じ、アメリカの代表としてイラクの大量破壊兵器に関する演説を国連で行って、その後イラク戦争が始まったこと。CIA報告は嘘だった。多くの命が失われた。
パウエルは、そのことを自分の経歴の汚点だと認めている。
その後、コリン・パウエルは大統領選挙に共和党から出馬を要請されたが、辞退した。



村上春樹の小説で一冊紹介するとなると、一番繰り返し読んでいるのがこれ。
『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)
村上春樹の作品は、長編、短編ともたぶん全部単行本で読んでいるけど、本棚のスペースの関係で単行本は読んだらブックオフで処分して、読みたくなったら文庫本で買うことにしている。
で、文庫本が赤茶けてきたら、またブックオフに持っていって、読みたくなったらまた文庫本を買う。村上春樹って長く売れ続けているからリサイクル向きなのよね。
『神の子どもたちはみな踊る』は数年に一回読むことになる。
短編集すべてではなく、「神の子どもたちはみな踊る」だけ。
宗教やカルトの問題で考えると、ええっーとこれどんな話だっけ?
たしか、いいフレーズあったよね、とか思って読む。
何度読んでもストーリーを忘れる。
そのくせ本に鉛筆で線を引いていたりする。私が本を読むときは、カラーのプラ付箋を使うことにしているけど、なぜかこの短編小説には線を引いたりしている。

「僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるのです。神のこどもたちはみな踊るのです。」

カルト宗教の信者親子の醜態を描いている小説なのに、読むといつも、宗教って、神様って、大切だと思う。

私にとって賢人と思う二人が対談した本もある。
賢人とは、一冊目の河合隼雄と今回の村上春樹だ。
最初の対談は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』で実現した。



最近、夢をみないという村上春樹に、それは小説を書くことによって昇華されているからだと河合隼雄は言っていたと思う。
昔、村上春樹が見た夢は、低いところを飛んでいる夢とか。
私の夢と似ている。私の場合、そこから電線に引っかからないようにだんだん空に上っていくんだけど。なんか病んでるんでしょう。

約束された場所で (underground2)
春樹, 村上
文藝春秋
2001-07-01


そして再び村上春樹と河合隼雄が会ったのは、オウム事件後。
オウム事件の加害者側にいたオウム真理教関係者に村上春樹がインタービューした本の巻末で再びこの二人が会ったときの対談が載っている。
「悪」を抱えて生きる、という章がある。
村上春樹「・・・悪というのは人間というシステムの切り離せない一部として存在するものだろうという印象を僕は持っているんです。・・・それは場合によっては悪になったり善になったりするものではないかという気さえするのです。つまりこっちから光を当てたらその影が悪になり、そっちから光を当てたらその影が善になるというような。・・・」
河合隼雄「・・・少年Aの事件が起こったときに、子供たちが陰に隠れて悪いことをしたらいかんということで、そのへんの樹木を全部切ってしまったんです。僕はそれを見てすごく腹が立ちました。話はまるっきり逆なんですよ。子供たちは大人の見ていない所で、子供なりに悪いことをして成長するんです。いつもいつも大人たちから見られているから、あんなことが起こってしまうわけですよ・・・まあ、みんな了見が狭いというか、一生懸命監視していたら正しい子ができるというような考えは、とんでもないことです。自分がずっと誰かに監視されとったらどんなに大変か、ちょっと考えてみればわかると思うんだけれども」
ここで、この二人が私の神様です!って思う私はカルト信者?

こころの処方箋 (新潮文庫)
隼雄, 河合
新潮社
1998-05-28



ブックカバーチャレンジという企画。
友人から紹介されて、二つ返事で引き受けたんだけど、仕事が忙しいからとか、すでに二人から断られた。
このルールダメだよね。
読書続けるのを応援するってコンセプトのわりに負担が大きすぎる。
読書を広めるようというより、もはや「不幸の手紙」でしかない(・_・、)
で、私が勝手にこういうルールに変えます。
まず、誰も紹介しなくてよい。紹介したかったら、してもいいけど。
セブンルール上限だけ守って、本を7冊以内で何冊紹介してもよい。
facebook投稿一回で、紹介は一冊ずつ。
文章なしのブックカバーだけでもよい。
負担は軽く。これなら1分で終わり。
これでどう?
それじゃ途切れるじゃない、って言われるかもしれないけど、それで途切れるならそれまでの企画。
誰かが決めた勝手なルールに、みんなが合わせる必要なんてない。
読書を広めたいなら、それぞれがルールを考えればいいだけ。

自粛がイヤなら、
われにコロナを!

ということで、私の一冊目は、河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)。
今回私の選ぶ七冊は、自分で繰り返し読んでいる「聖書」みたいな使い方をしている本。
この本、7年前からたびたび読んでいる。
家に一冊と、職場に一冊を置いている。
といっても、河合さんの一言一句が真理である!って読み方なんてしないけど。
気分がむしゃくしゃするときに、エッセイのタイトルから自分の気持ちに近いのを選んで読む。
「100%正しい忠告はまず役に立たない」
「マジメも休み休み言え」
とかふざけたタイトルが多いんだけど、読むだけでホントに気分が治る。
かと思えば、
「生まれ変わるためには死ななければならない」
「権力を捨てることによって内的権威が磨かれる」
とか、シリアスで読むと、こころが救われるものもある。
こころの処方箋って、うまいタイトルです。



著者はサザビーズジャパンの社長。何より巨大アートビジネスの表裏の事情に詳しい。
この本を読もうと思ったのは、バンクシーのシュレッダーに掛けられたアートがオークション後になぜ高くなるのか。ムンクの叫びが96億円で落札されるのは適正価格なのか。
いったいアート作品にとって適正価格とはなんなのか?
そういう疑問からだ。
この本を読んでアートオークションについて知らないことだらけだった。
まず、二大オークション会社はいまやグローバル企業になっている。
サザビーズは初版本、希少本などの本のオークション会社として1744年にロンドンで誕生した。
クリスティーズは美術品のオークション会社として1766年におなじくロンドンで設立された。
その後、この二大オークション会社は美術品や本、ワインなどさまざまなものをオークションにかける市場を作り出した。今は、ニューヨーク、ロンドン、香港でオークションを開いている。
では、どういう人がこのビジネスに携わり、人材として育っていって、アートに値段をつけているのか?
まず、画廊や美術館で経験を積んでいる者が多い。最近ではインターン制度も使われている。しかし、大学では教えない現場の知識が必要になる。美術品を手放すのは3D、つまりdeath(死)、devorce(離婚)、debt(負債)が契機となることが多い。そういうドロドロした事情のときにクライアントと話をしないといけない。
その後、カタログ制作するジュニア・カタロガーをやって、デイセールから始める。その後はふるい落とされながらジュニア・スペシャリスト、デイセールのスペシャリストを経て、最後はイブニングセールのスペシャリストになる。
オークションで木槌を叩いてるひとってスゴいんだってこと。
この人たちがオークションに掛ける作品の最低価格や予想取引価格をカタログなんかに書いている。

バンクシーが注目を集める前に書かれた本なので、バンクシーのことは書かれていない。けれど、アンディ・ウォーホルがどうして2002年頃から高騰したかは解説されている。

その理由は3つある。
(1)2001~2002年に開催されたウォーホル回顧展が世間のウォーホル観を変えたこと
 ウォーホルは単なるポップアートの作家ではなく、「死」を永遠のテーマに真摯に取り組んだ古典的な作家でもあることに焦点をあてて成功した。ベルリン、ロンドン、LAで巡回された。
(2)時代がウォーホルに追いついたこと
 インターネットの普及で世界的なセレブ文化が到来した。そういうセレブがウォーホルを部屋に飾った
(3)カタログレゾネの編纂
 ウォーホル作品は大量に存在すると思われていたが、カタログレゾネをつくると、すでに多くの作品が美術館や著名コレクションに集まっており、市場に出回る作品が少ないことがわかった。

そこからウォーホル作品が高騰化して、今の現代アートをセレブが資産としてもつ流れが始まっている。

アート作品はオークション会社のスペシャリストなどが値段をつけるが、個人的な感性とその美術品の履歴や美術史上の価値が影響する。履歴とは誰がもっていたか。ロックフェラーがもっていただけで値段が上がる。
私は美術をみるときには、知識はむしろ排除すべきだと、この本を読むまで思っていたが、価値を金額に換算するとそうではないということだ。美術史に関する認識が変わった。この人たちには当然の知識なのだ。印象派が高級で、現代アートが低級とかの問題ではなく。
アートの価値はその人の感性だけで決まるものではないのだ。
美術品の辿る履歴、美術の歴史って大事な無形財産。



岩田健太郎というとクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号に乗り込んで、その内情を伝え、大きな反響を与えたゲリラ医師的なイメージがある。
しかし、2014年に書かれたこの本を読むと、あんなことをした意図もわかる。
岩田氏は、アメリカで1999年に西ナイル熱を対処し、2001年の911後に炭疽菌のバイオテロ、2003年の中国でのSARS、2009年の日本の新型インフルエンザ、2014年のデング熱と行く先々の最前線でウイルス感染を扱ってきた。
そこから厚生労働省の体質や世界的基準との乖離をよく知っていた。
だから誰よりもクルーズ号での感染対策に不安を感じたのではないかと思える。

この本で岩田氏が解説しているのは、「リスク・コミュニケーション」。
感染症が生むパニックのなかでなによりコミュニケーション技術が大事だと言う。
岩田氏によればリスク・コミュニケーションは二分類で考えるのがわかりやすい。
クライシス・コミュニケーションとコンセンサス・コミュニケーション。
クライシス・コミュニケーションとは、目下に迫った火急の危機におけるコミュニケーション。より「説得」口調で「今すぐこうしましょう」と強い口調で行う。可能なツールをすべて用いて、ストレートにわかりやすく伝えるのがキモ。
コンセンサス・コミュニケーションとは、聞き手との双方向性の対話を通じて行われ、合意形成のために行われる。関係者すべての参加が望ましい。ステークホルダーが違う価値観を持っているときに、バラバラな目標をひとつにまとめるときに効果的なものだ。新型インフルエンザで「不要不急の外出制限」「経済活動の縮小」というリスクを生んだが、健康リスクと経済リスクがバッティングした。今の新型コロナとちょうど同じ状況だ。
コンセンサスのためには、相手の思い、価値観、感情を見極めて、不信感を取り除き、わかる言葉、伝わる気持ちを大事にしないといけない。
この二つのコミュニケーション技術を時と場所、テーマなどに合わせて使い分けることがポイントだと言う。
今日読んで、明日役立つ本だと思う。

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