書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

2020年07月



ZoomやTeamsが流行語大賞を獲得しそうな世の中になっている。
きちんとTeamsを使おうと思ってこの本を買った。
ビジネスとしては画期的なツールだと思う。これまでやりたかったことがいくつも実現している。
ふつうはチームを使ったプロジェクトでオンライン会議ができるとか、スケジュール管理からオンライン会議に入れるとかなんだろう。
私はチャット機能とスタンプ機能にびっくりした。LINEなどのプライベートのSNSのほうで実現していたものがビジネスシーンにも取り入れられている。
チャットやスタンプというのはコミュニケーションにおいて重要だと思う。メールのやりとりは一方通行的になるのでちゃっとはキャラクター(文字)ベースで双方向性が実現できる。スタンプは絵文字と同様に感情を表現できる。そうでしょ(^_^)とそうでしょ(・_・、)では、そうでしょの意味が違う。こういうことをスタンプがあればLINE同様に感情表現が豊かになってコミュニケーショントラブルが減り、人間関係が円滑になる可能性がある。うまく使えばの話なのだが。がんこ親父やたかぴーおばさんが下手に使えば逆効果なんだろう。

それから、この本には事例紹介もある。
NTTコミュニケーションズは2018年11月からすでに導入し、テレワーク推進に一役買っている。この本が書かれたのは今年の2月だが、新型コロナ感染下ではそういう情報インフラ整備が効果を発揮したみたいだ。昨日、NTTの部長と話していたら、1か月単位のフレックス制度導入とセットで在宅ワークをうまく管理しているようだ。NTTなので端末ですべての時間を管理しているので、実労働時間を把握している。そういう意味ではちょっと仕事を離れて、保育園にこどもを迎えに行ってまた仕事をするというときなんかは、実際の報告とは別にそれぞれが工夫をしているんだろう。今は営業以外は5割以上が在宅勤務だと聞いた。去年の12月でNTTのTeamsユーザーは2万人を超えている。チャット機能ではLINEではないビジネス板のラインを使っているとか。そのほうがスマホとかで使いやすいし、社員番号でIDが得られるとか。月300円の使用料だと聞いた。先行者としていろいろ進んでいるのだ。
もう一件気になった事例は、大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部システムデザイン工学科。ここではTeamsをLMSとして使っている。
TeamsのメリットのひとつはVPN接続しなくてよいこと。この学科では2017年の開設当初から、BYODで全学生がパソコン必携。Teamsを使うと、資料はOnenoteで共有できる。動画はStreamで授業も作成できる。再生回数も把握可能。学生の理解進度も把握できる。動画にいいね!してくる学生もいるとか。
Formで小テスト作成もできる。2019年度から成績のタブまで追加されたとか。Excelでエクスポートも出来る。
これでいくつかのLMSは寿命を失うだろう。
Microsoftおそるべし。



誠光社店主の堀部さんの本。恵文社一乗寺店の店長だった頃に京都のいくつかの店を取材して書いている。
堀部さんはこういう取材の文章も書けるんだと思った。とても読みやすい。ガケ書房の山下さんとの座談会も最後に掲載されている。けっこう仲良しだったんだとわかった。今年の5月で閉店した三月書房の宍戸さんのことを先生だと思っていたことも知った。この前は三月書房のことをけっこうdisっちゃったなあ。あれは堀部さんにとってとても不快だったんだろうと後悔した。
儲からなくても個人店を営むこと。それは街にある種の力をつくること。そういう堀部さんの思想を感じた。
恵文社一乗寺店の名物店長を止めて、自分で店を開いた経緯もよくわかった。
本、書物、文字コンテンツ、どう呼んでもいいのだが、本屋は書籍を売る。書籍という物体の持つ意味、棚に並べるということ、その意味がこの本でわかる。本はその横の本と並ぶことで意味を持つ。それは客があるイメージを膨らませて買っていくことになるんだけど、本の購入はそこで終わらない。客が家に帰ってから時間をかけて読む。その行為自体が消費であり、快楽である。そこでも終わらない。客の記憶に残る。それが生活に生きたり、人生に生きることもある。ずっとフレーズが残る本もある。棄てられない本。もはやそれはふつうの物体ではない。位牌か骨壺のように霊魂が宿っているかのように思えてしまう。
堀部さんは客がそういう経験をする機会を提供する。そういう仕事をしている。とても憧れる。でも、その知識や経験はこの本を読めばわかるが、誰にでもまねが出来るものではない。誠光社のレベルに素人が到達するには何十年もかかってしまう。だから、私に誠光社のような店をつくることは無理なのもよくわかる。
でも、書店を経営したい。その夢は消えない。
今は、その夢焼きのために誠光社に通っているのかもしれない。
このなんともいえない欲望を小説にしたい。
それは『ユークリッド空間の焚き火』を世に出すためでもある。



つげ義春という名前を知っていたけど、読んだのは初めて。
だいたい漫画やアニメはよっぽどのことがないと読まない。
ある店でたまたま「サンクチュアリ」という漫画を読んで面白かったので、ゲオで借りて、そろっていないものはamazonで買ったりして読んだのが最後かな。あれはたしか10年くらいまえかな?
今度は誠光社といういつも行く本屋で何か買って帰ろうと思って買ったのがこれ。誠光社に行ったら必ず何か買うことにしている。インスピレーションを呼び起こす本並べ方をしてくれていて、2週間に一回くらいの頻度で行く度にその並び方が変わっているので、買う本を探すのにそう困らない。でも困るときもある。そのときには文庫本でいいから何か買う。前回行ったときに買ったのが、つげ義春のこの本だった。
つげ義春に、タブーはないのか? と思った。
エロ、グロばかり。ナンセンスなものはない。いや、エロ、グロの対極の純愛的なものもあった。そっちが本当のつげ義春なのかもしれない。いや、どちらも本当のつげ義春なんだろう。
『ガロ』は1970年代に流行ったサブカルチャー系雑誌だったが、そこで人気があったのがつげ義春。そういう世界があるのは知っていたが、あんまり興味がなかった。エロ、グロに興味をもったのは、1980年代のビニール本くらいからか。
ビニール本というのは凄かった。このつげ義春の漫画に、女性の陰部にコカコーラのビンをつっこむシーンがあるが、そういえばあるビニール本にそういう写真があったのを思い出した。あれは、なんだったのか。人間の欲望はどこへいくのだろうかと思った。屍姦、獣姦とかいうのも欲望の方向性の問題ではある。
ビニール本で今でも覚えているのが、「いぬと少女」というロリータ本。その本は悪友たちがある男子学生の部屋に忍び込んでその秘密の持ち物を暴露した。それをわれわれ訪問者何人かに見せてくれたのだ。
いぬと少女がただ写っている。だんだん少女が服を脱いでいく。少女なので陰毛などはない。それがエロチックなのかどうかさっぱりわからなかった。
その「いぬと少女」を持っていた男子学生は、出身地に帰省して小学校の教員になった。あれは歪んだ欲望だったんだと思う。しかし、その男子学生は来年何ごともなく定年を迎える。あの欲望は空想のまま終わったんだと信じたい。
つげ義春の世界というのは、小学校の教員になった男子学生が夢見た「いぬと少女」的世界なんじゃないかと思う。
つげ義春のなかにある純粋性とエログロ性、それが一体になっているところにこの人の魅力があるように思う。



 法律実務のツボが理解できない部下に、どんな本を読んだらいいですか、と尋ねられた。
 テーマが民法の債権債務にかかわることだったので、内田貴『民法Ⅱ・債権各論』を勧めた。でも、まあ、教育学部を出て、旅行代理店に勤めていた部下にはちょっと難しいだろう。それで、内田貴さんの入門書を探したが適当なのがない。民法改正の解説本がど~んと出版されているが、そもそもツボを押さえる本がない。
 そんななかでamazonで目次を見てよかったのがこの本。読んでもいないのに部下に勧めた。同時にamazonで古本を注文した。読む速さが違うようで、私のほうが先に読み終えた。ツボってのは必要な所に早く到達すること、要らない所は飛ばしてこだわらないってこともあると思った。でもそれは、私が2年間司法試験の勉強をして、それも200万円くらい通信講座とかにお金を費やしたからわかることなんだろう。
 法律の勉強にはやっぱり王道はないのかもしれない。地道に本を読んだり、問題集を解いたり、論述をしたりすることが必要なのだろう。自分で考えること、それが大事。概念を覚えて、それで遊んでいるレベルでは法律実務を間違う。法学部出身者にそういう人が多いように思う。
 そして、実際の実務で弁護士、それも多くの弁護士といっしょに仕事をすることが大切な経験になるだろう。そうすれば、弁護士資格をもっているだけの弁護士から、一瞬でツボに到達することのできる弁護士まで世の中にはいろいろ存在することがわかる。どうすればそういう弁護士に出会えて、どういう質問をすればよいかは、こつこつと法律の基礎知識を蓄えて、実践で案件と真剣に向かい合うことしかない。
 この本のよいところは、4章までで民法の基礎知識を押さえて、後の章で事例に基づいて考えることが出来るというところだろう。事例もよく考えられていて、私もこの本で使用者責任と求償のことを、判例に基づいておさらいできた。
 でも、これはあくまで入門書。わからなければ繰り返し読む所から始めるべきだろう。そして、内田貴『民法』のような司法試験受験者や弁護士が実務で使っている本に進めば良い。内田さんは債権債務を図で表現することにも長けていると思う。部下には、ぜひ、そこまで進んでほしい。

90年代のこと―僕の修業時代
篤史, 堀部
夏葉社
2018-11-01


 誠光社という京都の個人書店の店主、堀部篤史さんのエッセイである。
 12坪ほどの空間だが、今、京都で一番素晴らしい場所を作っている。あえて、素晴らしい書店を作っているとは言わない。ここは書店なんだけど、私にとってはそれ以上の場所である。
 詩や小説を書くインスピレーションが生まれる。どうしてだろうかとずっと思っていたが、今、気づいた。本棚に並ぶ本の背表紙は、「詩」だと思っている。これは、ある装丁家が言っていたことだ。本棚の本を一番上の棚の右から左に読んでいくと、詩になる。詩は一行一行を読んでいくことで何らかの意味が生まれる。詩情が生まれる。それと同じだ。書店の本棚の一番上にある本の背表紙から一行ずつ読んでいく。誠光社に入るといつもそれをする。楽しくて仕方がない。1週ごと、いや1か月も行けないときもあるが、いつも棚が変わっている。それが楽しくて仕方ない。いつも新しい詩になっている。入り口の右手側の棚。一番右は文学。次は詩。向かいの棚は絵画と絵本、その横は芸術。この書店は、文化人類学やサブカルチャーの棚もある。科学や哲学も少しある。ほとんどが私が読んだことのない本だ。見るのが初めての本も多い。たぶんこれからも読むことのない本のほうが多い。けれどいつも何冊かは買って帰る。ほかに100冊くらい積ん読本が待っているのに、誠光社では必ず本を買う。で、待っている積ん読本より先に読むことになる。この店で本の背の詩を読み、買った本を読み、それでインスピレーションが生まれる。
 このエッセイに書かれているのは、堀部さんが書店のアルバイトを始め、恵文社一乗寺店という個性的な書店の店長になり、そして今の誠光社を始めるまでのことが書かれている。といっても、書店のメイキング本ではない。その時代、その時代に堀部さんが感じたこと、考えたことが書かれている。
 この店のレジで支払いをするときに堀部さんと会話するのがとても楽しい。ほんの3~5分。いろんな話をする。店でかかっている音楽。哲学本のこと、バンクシーのこと、本を出版したいと思っていること、絵本のこと、いろいろ話す。堀部さんは、それが迷惑そうだ。顔にありありと「め・い・わ・く」と書いてあるのがわかる。でも、私は話をする。そのためにこの店に行っているからだ。
 この店を愛している。もしかしたら、堀部さんより、この店と何の関係もない私の方が誠光社のことを愛しているのかもしれないと思う。どうしてか? 
 それは片思いの女性を思い続ける感じに似ている。高校生のこと抱く淡い感情。決して成就しない恋心。でも、それでもいい。愛している自分を感じるのが心地よい。こんなにも純粋に18歳のころの感受性で愛した女性を愛し続けている。セックスがしたいとかそういうことではない。純粋な恋愛感情。おそらくその頃の自分にしか、あまり汚れていない純粋なマシュマロのような心でしか感じなかった恋愛。それを大事にしたい。できれば一度デートくらいはしたい。
 誠光社に私が感じるのはそういう感情だ。こういう書店を経営したい。でも、流通や本の知識、毎日の面倒なことの繰り返し、庭先の掃除、万引きの監視、釣り銭を間違わないための注意の持続。たぶん、そんなことに嫌気が差してしまい、結局うまくいかない可能性の方が高い。でも、こういう店を経営したい。時間があるときには好きな本を客よりも一番先に読んだりもしたい。そういう思いは消えない。誠光社のような店を経営することを考えるだけでわくわくする。
 堀部さんの店がとても好きだ。そういう感情を隠したりはしない。堀部さんにもいつもそのことを話す。この店が京都で一番いい。この店は京都の財産だ、と。
 堀部さんの仕事のじゃまをしないように心がけながらいつも堀部さんとの会話を楽しむ。「め・い・わ・く」の文字が額に見える。それでもいい。だって、片思いの恋なのは最初からわかっているんだもの。

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