書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

2021年04月



京都文化博物館で開催されている『承久の乱展』を見て、後鳥羽上皇ってなんか無茶苦茶な人って印象が残った。
乱を仕掛けて失脚したら、隠岐で和歌を編纂する。架空の歌会をやったりもする。絵巻に残っているものもある。
具平親王と後鳥羽上皇の歌合戦!
まあ、風流の極みとも言える。
ところで、武士支配への転換という意味で、承久の乱は関ヶ原の合戦より歴史的意味のある事件と本郷和人氏は書いている。
なのに合戦の場所もよく知らない人が多いのではないだろうか。
私も宇治川や美濃が合戦の場所だったなんて知らなかった。
承久記絵巻を見て、初めて知った。
承久記絵巻には、宇治川を大なぎなた振り回して後鳥羽軍の誰かが渡っている絵があった。
地元の人もそんなこと知らないと思う。
この記事によると絵巻も最近発見されたらしい。

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20201026001941.html


承久の乱が、どうして北条氏側のワンサイド・ゲームになったのかを知ることが、武士支配へのターニングポイントだとわかることだと本郷和人氏は書いている。
この乱では、幕府vs朝廷は一万数千vs千七百の軍勢だったんだとか。
これは保元・平治の乱を経て、鎌倉の源氏政権が「幕府」として力をつけた証。源平の合戦で東の源氏が勝って、西の空白を源氏の家臣が押さえたけど、東軍ほど力をもっていなかった。だから後鳥羽上皇が西面の武士を頼りにしても頼りにはならなかった。白川上皇以来、北面の武士とか朝廷も武士を武力として従えてきたけど、鎌倉幕府の武士の鍛え方とは雲泥の差だった。
その源氏の源実朝も葬り去り、実権をもった北条氏の義時が後鳥羽上皇の浅知恵に乗っかって、蹴散らしたのが承久の乱。
本郷和人氏の師匠筋に当たる五味文彦氏は、このときすでに東の幕府と西の朝廷という二つの王権があったという論を唱えている。東の王権である武士政権は国家論として全国統一など考えていなかった。しかし、西の朝廷政権の後鳥羽上皇は天皇を中心とした国家にこだわった。
足下の荘園などはほぼ領地として武士支配になっていたのに、そのあたりの状況認識に甘さがあった。だから、集まった武家は千七百程度だったという見立て。
結果は戦う前からわかっていた。
わかっていないのは後鳥羽上皇だけ。

2040年の未来予測
成毛 眞
日経BP
2021-01-01


成毛さんの近著。
最初に書かれている100年前にアインシュタインが来日したエピソードが面白い。
アインシュタインはフランスから40日かけて船旅で来日した。腹痛と下痢・嘔吐に襲われた。幸い乗船していた医師に「腸カタル」と診断された。船中でノーベル賞受賞の電報を受け取ったとか。
アイシンシュタインが今の時代にやって来たら、40日の船旅が12時間の飛行機の旅になっていることや、医師が乗船していなくてもモニターで遠隔治療できることや電報は今や使われることが稀になっていることを知って腰を抜かすだろう、と。
2040年というとこの先20年。
日本では65歳以上が3分の1になっている。4人にひとりが認知症。
毎日のニュースを見ていると、5Gは使えないとか技術進歩が遅々として進まないようにも見える。
けれど20年のスパンで考えると、今、技術の兆しに見えるものがおそらく実現しているだろう。
通信は6Gが当たり前になり、その技術を使って自動車が自動運転になり、空を飛んでいたり、自然エネルギーがバッテリーで当然のように使われ、原子力発電は核融合エネルギーになっていたり。
ただ、成毛氏の興味か、教育への言及も多い。
大学は人口減少によりじわじわ学校法人の体力を失う結果になる。より専門性や実務能力の高い人材育成にシフトしている、
とか。
すぐ読めるけど、とても面白い270ページの本。

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