世の中には理解できないことが多い。
ヘイトスピーチという人種、民族差別の表現行動がどうして堂々と行われるようになったのかもそのひとつ。
この本を読むとおぼろ気ながら、その構造がわかる。
ネットの普及で不確かな情報を信じてしまうこと(在日特権など)、テレビで報道される衝撃的な事件を排外主義と結びつけてとらえる(拉致と北朝鮮、サッカーW杯での日韓対決と韓国、ISの日本人殺害とイスラム教徒)、不安や恐怖あるいは不満のはけ口として手っ取り早い行為であることなど。
差別する側に悪いことをしているという自覚がないのもこの問題の深刻なところ。
I have black friends.という差別主義者特有の言い回しがアメリカにもあるという。友達がいることで差別が無効化されるわけではない。
政治家や評論家の発言もヘイトスピーチを暗に後押ししているようだ。
安部首相はヘイトスピーチを繰り返す宮司の出版に推薦文を寄せ、竹田恒泰氏はテレビで「在特会のおかげで通名の在日特権があきらかになった」と発言する。謝罪も訂正もされない。
現在の法律では、刑法などの犯罪として捕まらない限り許される。

日本のヘイトスピーチは国連の人種差別撤廃委員会からも法整備などの勧告を受けている。
だが、今国会で審議されていた法案は採択見送りらしい。
法の対象があいまいで、憲法の表現の自由に抵触するということらしい。
こんなこと法律で取り締まるのは間違っているとも思うが、法的規制がないと暴走する世の中になってしまっているのも事実だ。