書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 現代史



『北欧史』の下巻だけを読んだ。
下巻は第一次大戦前から始まる。
北欧五か国は、決して昔から仲が良かったわけではないことがわかる。
アイスランドはデンマークから独立したわけだし、ロシアの対応をめぐって、隣国のフィンランドと端っこのノルウェーでは差が出る。
EU加盟をめぐっても足並みがそろったわけではない。
しかし、戦後、社会民主主義の道をたどり、1950年代から社会保障の比重が大きかったのは共通する。
ソ連の計画経済の影響もあって、社会民主主義の政権でも計画経済が進行する。国有、公有、私企業からなる混合経済ができたのもその頃だ。
福祉国家と言われるが、財政支出が大きくなりすぎて、社会民主党が退陣したりもしている。
その後、北欧会議が結成され、北欧の五か国とグリーンランドなどが協力体制に入る。

しかし、今はどの国も右翼ポピュリズムの台頭によって、連立政権も複雑になっている。


フィンランドが昨年、スウェーデンが今年、NATOに加盟した。
これも第二次大戦中のナチスに機雷封鎖で協力したスウェーデンや、ロシアと二度侵略戦争を戦ったフィンランドの事情は異なる。
けれど、バルト海を囲むこれらの国がひとつの軍事同盟になったことは対ロシア政策では大きな変化だ。

世界最年少の女性首相が2年前に生まれたのはフィンランドだった。
昨年、経済政策で退陣したが、内閣の閣僚19人のうち女性が12人も入閣した。

DXでも北欧が世界で最先端を走っている。

注目すべき国々だ。









ベルリンの壁は、ソ連が占領後、突然作ったように思っていた。
壊れるときも、日清のカップヌードルのCMのせいか、突然、誰かがあの壁に登ってハンマーで打ち壊したように記憶ができあがっていた。
この本を読むとその辺りの誤解、いや記憶間違いが訂正される。
ベルリンの壁が出来たのは、1961年。1945年の終戦から16年後だった。
まず境界に有刺鉄線が引かれ、道路は遮断された。それまでは毎日5万人が東西国境を仕事などで行き交っていたのだ。
境界は徐々にコンクリートの丈夫な壁に変わっていった。
東ドイツの社会主義統一党(共産党)は、その壁を「アンチ・ファシズムの防護壁」と呼んだ。西ドイツにいるナチスが東ドイツに侵入しないという意味合いだった。
その頃まで、東西ドイツは「統一ドイツ」が課題になっていた。
(つづく)

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