書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: ロジカルシンキング




紀藤弁護士はテレビによく出ていて、お金儲けが好きな弁護士に見えるかもしれないが、昔から地味な仕事をしている。
詐欺商法とカルト教団との訴訟である。
最近、テレビでよく見る鈴木エイトなどは「ほぼ日刊カルト新聞」しか登場できるメディアがなかったジャーナリストだった。いや、あれをジャーナリストだなんて思ったことはなかった。単なる反カルト教団オタクだと思っていたが、今、花が咲いている。

この紀藤弁護士も今、花が咲いているように見える。

それはそうと、この『議論の極意』はおもしろい。
まず、この本が、ひろゆきの「それは主観ですよね」という一見「論破」に思えるひとことに潜む非論理性を暴いているのがすごい。

紀藤弁護士はこう言っている。

議論においては、「論理の稀釈」をしてはいけません。
稀釈とは一般に溶液を薄めることをいいますが、論理の稀釈とは、その人の論理に直接反論するのではなく、別の論点を提示することで、論点をすり替え、もともとの論理自体の正当性を低めることで、議論から逃げることです。
「それはあなたの主観ですよね」というのはその典型例です。
議論とは互いの意見を述べ合うことであり、意見とはそもそも客観的なものではありません。

「意見」とは自分の価値観をもとにした主張なのであり、客観的な意見などというのはありえない。

要するに、意見とは、事実の重みによって結論が変わる「暫定的な仮説」なのです。
自分が最も根本的なところで大事にしている大きな価値観は変わることはなくても、個々の価値判断の基準は、事実(新たに知った事実、事実認識の修正、時代の変化など)によって、いつでも変化する可能性があります。

議論は意見を戦わせ合う行為だ。意見は価値観に基づいている。それを理屈が支えている。そのことを紀藤氏はこうまとめている。

意見とは、ある事実を自分の「価値観」で評価し、そこに「理屈」を伴わせた言葉です。価値観は事実に対する評価で、理屈とは意見の理由でした。では、あなたの理屈(意見の理由)が強固であれば、相手はあなたの価値観を受け入れざるを得なくなり、あなたは議論に有利になるでしょうか。
それは「単純にはそう言えない」というのが私の考えです。
というのも、ある物事について賛成の立場を取る人と反対の立場を取る人は、往々にして同じことを問題にしており、しかも同じくらい理屈の筋が通っている場合が多いからです。

この例で紀藤氏は同性婚に賛成のひとと反対のひとの理屈を対比して、どちらも理屈としては通っているとして、こう言っている。

では、どこで対立しているのかというと、理屈ではなく価値観の部分です。
「どちらが正しいか?」ではなく「自分はどちらの理屈を選びたいか?」という価値観こそが自分の意見の拠り所であり、結論を分ける分岐点なのです。

そして、議論の基本構造として、紀藤氏はしつこいくらい三段論法を解説している。


sadan


「大前提」に「小前提」を入れると、「結論」が出る。
その構造のことである。
「結論」は、「大前提」の真理や公知の事実に、「小前提」の具体的な事実をはめ込んで、出る答えなのである。


この本の前書きに騙されないコツが書かれている。
それは、アメリカの社会心理学者チャルディーニ博士が著した『影響力の武器[第三版]―なぜ、人は動かされるのか』(誠信書房)からの引用でもある。
騙すテクニックは6つあるのだそうだ。

(1) 「返報性の心理」を悪用する
「人から何らかの恩恵を受けたら、お返しをしなければならない」という原理。生命保険のセールスマンは、花の種をくれて、ゴミ出しを手伝い、肩までもんでくれた。何かお返しをしなくてはと思ってお茶を出したが、まだ借りがある。彼が勧める保険に入れば、お返しができると考えてしまう。

(2)「希少性」をアピールする
「あるものが手に入りにくくなればなるほど、それを得る機会が貴重と思えてくる」という原理。生命保険のセールスマンは、「キャンペーンがあと5日で終わってしまう」といった。このチャンスを逃す手はないだろう。急いで手続きをしなければ、自分は損をしてしまう。デパートのバーゲンやタイムセール、通販番組などで、多くの人が体験する。

(3)「権威性」で人を取り込む
「人は権威に弱く、権威者の命令や指示には深く考えずに従いがちである」という原理。セールスマンが勧めるパンフレットには、有名なベテラン俳優の顔写真が掲載されている。その会社はテレビCMの放映もたくさんしており、株価も高い。これらはすべて会社の権威性を高める。権威ある人が、権威ある会社の生命保険を勧めているのだ。安心して加入できる、と考えてしまう。

(4) 「コミットメントと一貫性」を要求する
「自分が何かしたら、その後も以前にしたことと一貫し続けたい(一貫していると人から見られたい)」という原理。お孫さんの学資保険に入ったあなたは、次に生命保険に入るときも、同じ会社の同じセールスマンにしようと思う。別の保険会社に変えれば、あなたの前回の判断には問題があったことになってしまう。
「コミットメント」は訳しづらい言葉で、日本語では「(責任を伴う)約束」といった意味だが、一貫性と相まって、人は自分で決めたことや約束したことは、後から変更することが非常に難しくなる。マインド・コントロールは、他者からの働きかけによって、本人に一つひとつの決断を迫っていくものだが、この「コミットメントと一貫性」と相まって、次第に引き返すことが困難となる。

(5)「好意」で断りづらくする
「人は、自分が好意を抱いている人からの頼みを受け入れやすい」という原理。あなたが大切にしている花を褒めたセールスマンを、あなたは「悪くない人だ。自分と趣味が合う」と思うことになる。肩をもんでくれたときは、好意を感じる。自分が好いている人の頼み事なら聞いて当然だ、と考える。

(6)「社会的証明」で人を取り込む
「人は、他人が何を正しいと考えるかに基づいて、物事が正しいかどうかを判断する」という原理。生命保険のセールスマンは「近所の○○さんも入ってくれました」と言った。○○さんは保険の専門家でもないのに、あなたは「それならば」と思ったはず。


マインド・コントロールには、もともと対人カウンセリング的な要素があったり、相手によってやり方が異なったりする。マインド・コントロールに長けた人物は、この相手にはどのやり方が効くかをいち早く見抜く力があるらしい。
マインド・コントロールの被害者がどんなマインド・コントロールのテクニックを用いられたのかは、最終的には本人に聞いてみなければわからない。どの手法が使われるかは、被害者の性格によっても、また被害者の考え方や気分の浮き沈みによっても異なるのだ。相手の状態と使った手法がうまくマッチしたときは、マインド・コントロールがどんどん深まってしまう。

紀藤弁護士は、詐欺商法やカルト教団の霊感商法などの訴訟からこういうことを何度も経験しているようだ。

問題のあるマインド・コントロールを駆使されたときに生じる典型的な感情は、「強迫観念」と「依存心」です。


騙された側に生じるのはそういう感情なのだそうだ。
それでマインドコントロールがあったかどうかの結果と見分けられるのかもしれない。

入門!論理学 (中公新書)
野矢茂樹
中央公論新社
2014-07-11

とてもよい本!
あんまり面白いのでリビングで立ったまま夢中になって半分を読んでしまった。
読むのにちょっと根気が要るのは、「第4章「ならば」の構造」と「第5章命題論理のやり方」だろう。
記号または記号的な言葉の使い方が出てくると論理脳が必要になる。モード切替というか、かなりの抽象化作業をしなければならない。

この本のよいところは、まず縦書きであること。それに記号らしい記号がほとんど出てこないこと。
これは画期的な論理学の本なのではないだろうか。
よく「論理的」と「論理」の間がよくわからない場面に出会うが、この本では「論理的」ということについてこう書いてある。
「論理的」というのは、それまでの発言ときっちり関係づけて次の発言をすることだと言えるでしょう。「論理的」ということばがもっているこの側面は、かなり論理学が扱う「論理」に近づいたものになっています。おおざっぱに言えば、「論理」とは、ことばとことばの関係の一種なのです。だから、ことばとことばをきちんと関係づけて使うひとは「論理的」で、そのときの思いつきで脈絡なく発言するひとは「非論理的」ということになります。
日常用語と論理学用語を結ぶかのように、いくつかの言葉が定義してある。
推測:常識や経験から判断しておそらく言えるだろうというタイプの結論の導き方
推論:論理的な結論の導き方
演繹:いくつかの前提からなんらかの結論を導くもの
排中律:Aまたは(Aではない)について、「明日、私はお金を拾うか拾わないかのどちらかだ」という例を上げている。
これって、よく考えるとローランドの「世の中には2種類の人間がいる。俺か俺以外か」ってことと同じなんだ。
排中律=ローランド的分類:俺または(俺ではない)、と覚えておこう。これは野矢茂樹がこの本で書いていることではないが。
しかし、Aである、ということが明確な場合とそうでない場合がある。
野矢氏はこれを、勇気と盲腸の例で説明している。盲腸があるかないかは明確である。しかし、勇気があるかないかは、きわめてあいまいなのだ。
ローランドは勇気があるかないかどちらかだ、というのは成り立つのか?
街で女性がからまれていたら、ローランドは助けると言う。
しかし、ローランドが一生そういう場面にでくわさずに死んでいったらどうなのか? これは意見の分かれるところである。勇気がある場面を誰か人間が観察する必要があるのだ。論理学で、こういう存在を取り扱わないのを反実在論的立場というらしい。つまり、あいまいさを認めて排中律を拒否する立場。それに対して、排中律を認めるのは実在論的立場という。
この本が紹介しようとしている標準的な論理体系は排中律を認める「神の論理学」で、排中律を認めない非標準的な論理体系は、排中律を拒否する「人間の論理学」です。
神の論理学。
いや、神という超越的存在を仮定して何が正しいかを明確にしていくのが論理学ってことなんだろう。

Aである、というのは、Aではない、ではないということ。
否定の論理をまとめておく。
排中律:Aまたは(Aではない)
二重否定則:入れ・・・A → (Aではない)ではない
      取り・・・(Aではない)ではない → A
矛盾律・・・(Aかつ(Aではない))ということはない
背理法・・・「A」を仮定して矛盾が導かれるとき「Aではない」と結論してよい
矛盾していることを証明することによって、Aではない、と言える。
裁判なんかで出くわす言い方だ。

逆、裏、対偶の証明なんかもされている。
taigu

ローランドならば俺。を真とすると、対偶は、
俺でないならばローランドではない、となる。
これは必ず真になるのだ。

命題論理の体系はこうなる。

かつ=連言
または=宣言

meidai

アリストテレスから始まった論理学は、ストア学派の論理学などを経て、フレーゲが開花させたと言われている。
論理学を縦書き、記号なしで説明する。
ことばとことばのつながりを「論理的」に組み立てる。
それが日常のビジネスと論理学をつなぐことなのではないだろうか。



野矢茂樹監修と書いてあったので買って読んだ。
しかし、ここまで「わかりやすく」書かれると、かえって「論理」とは何かがわかりにくいのではないか?
この本は最初のほうでは根拠や推論について書かれているのだが、最後の方は、論理と言うより、人の意見を大切にしましょうとか、道徳みたいな感じになってしまっている。
マッキンゼー流のロジカルシンキングと論理学をつなぐことはできないかと思ってこの本を読んだのだが、今回も空振りに終わった。



瀧本哲史氏の経歴。
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科助手を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。独立後は、企業再生やエンジェル投資家として活動しながら、京都大学で教育、研究、産官学連携活動に従事。全日本ディベート連盟代表理事、全国教室ディベート連盟常任理事なども務める。
東大病院で亡くなる。享年47歳。

この本の内容は、京都大学での人気講座をまとめたものらしい。
よくあるロジカルシンキングの本とさほど変わらない。
ちょっと違うのは、ディベートの手法を大幅に取り入れて思考法を構成していること。
自分のことは気分で決めろ!という強いメッセージが込められていること。
それくらいか。
でも、そこが人気の秘密だったのだろう。

まあ、悪質でない自己啓発セミナーというところか。
ディベートとは、客観的に決断するための思考法だといえるでしょう。
この本は、ディベートの考えをもとにした「決断思考」について、若い世代が「武器としての教養」として身につけられるよう、授業形式を用いてなるべくわかりやすくまとめたものです。
と瀧本氏はガイダンスで述べている。

ディベートでは、メリット・デメリットを提出する。
で、それぞれの三条件が挙げられている。

メリットの三条件
①内因性(なんらかの問題があること)
②重要性(その問題が深刻であること)
③解決性(問題がその行動によって解決すること)

例えば、原発を全廃すべきということだとこうなるそうだ。

①日本の原発は大地震が起きると大爆発する可能性がある(内因性)
②大爆発が起きると、周辺地域が放射能に汚染される(重要性)
③原発を全廃すれば、事故の可能性はなくなる(解決性)

逆にデメリットの三条件はこう。

①発生過程(論題の行動を取ったときに、新たな問題が発生する過程)
②深刻性(その問題が深刻であること)
③固有性(現状ではそのような問題が起きていないこと)

①全廃すると他の発電所に頼らなくてはいけなくなる(発生過程)
②他の発電所では原発の電力を補いきれない(深刻性)
③電力が多く消費されたときに大規模な停電が起きる(固有性)

というように考えるということ。

これはこれでもっともな考え方だろう。
ロジカルに物事を考えたことのない人たちには、ディベートのようなひとつの可否判断というのは入門的にはよいのだろう。

実際の問題はもっと複雑であること、どちらかの立場に強制的になって考えるというディベート的発想が実は本心とはかけ離れた思考を生むリスクがあること、はこの際置いておこう。

ディベート的思考の問題というのはそれが一番深刻だと思うのだが。

この本では各章でまとめが載せられている。
それだけ拾ってみるとこうなる。

・「知識・判断・行動」の3つをつなげて考えよう。
・エキスパートではなく、プロフェッショナルを目指そう。
・「正解」はない。だから、自分で答えを出す方法を学ぶ。
・正解ではなく、「今の最善解」を導きだそう。
・結論を出すことが大事。
・「知識・判断・行動」に加えて、「修正」の考え方を身につけよう。
・ゲリラとして最前線で戦うことを選ぶなら、「ブレる生き方」を目指せ!
・論題(テーマ)は、「○○すべきか、否か」にする。
・問題が大きすぎて漠然としているときは、小分けにして考えよう。
・同時に複数の論題について考えることを習慣にしよう。
・どうでもいい議論に時間をかけることをもうやめよう。
・メリットとデメリットを比較しよう。
・メリットとデメリットには、それぞれ3つの条件がある。
・主張が3条件を満たしているかどうか、しっかりチェックしよう。
・反論は、メリット・デメリットの3条件に対して行う。
・読書は格闘技だ!
・論理的にツッコミを入れて、主張が正しいかどうか検討しよう。
・「正しい主張」には根拠がある。
・その「根拠」は、反論にさらされていて、なおかつ耐えたものだ。
・裏を取るな、逆を取れ!
・相手の主張の「推論」の部分に目を向けよう。
・情報を鵜呑みにするな!
・自分の頭と足を使って「価値ある情報」を取りに行こう。
・反論に耐えたメリットとデメリットを比較して、決断していこう。
・どちらが重要かは、「質×量×確率」で考えよう。
・自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく!

で、最後に、「ティベートの手順なんて忘れてもいい」「決断思考を手に入れたら、明日からの人生を力強く歩んでいってほしい」「武器を持った君たちが未来をつくるのだから」と結ぶ。
一同拍手。
ということだったのだろう。

瀧本氏の本の各章のまとめで1つだけ引っかかって残る行がある。
ゲリラとして最前線で戦うことを選ぶなら、「ブレる生き方」を目指せ!
これはゲリラとして生きるなら、間違いをすぐに認め作戦を修正することを勧めたもの。
瀧本氏はそれをマッキンゼーで学んだとか。
一流のコンサルタントは自分の主張にこだわらず、正しいと思うことはさも昔から自分のそう思っていたかのように考えを修正したのだとか。
まあ、当たり前と言えば当たり前なのだろうが、そうでない場面が日本ではよくある。

ディベートの手法を使った決断思考を、大学生の「一般教養」だと瀧本氏は考えていた。
たぶん、古代ギリシアでも論理学なんかはそうだったのだろう。
哲学、数学、天文学、論理学、修辞学なんかがまだまだ未分化な時代。
知識と同じように考え方も教養だった。
瀧本氏もおそらくそう考えたのだろう。

分かっている人には、「決断思考」なんて屁みたいなものだろう。
ディベートのポジション取りの胡散臭さが気になる人にも、この本はとっつきにくいかもしれない。
しかし、ロジカルに考えることが一般教養のひとつだということはとても大事なことだと思う。
民主主義が特殊な政治形態ではないように、論理的思考もまた人類が得た共有すべき知恵なのだと思う。



「世界一やさしい」というのはどうなんだろうか?
「キノコLovers」というこどものバンドがコンサートの観客を増やすにはどうしたらいいのか?という子ども向けの題材にしているのは、よくある企業事例の本との違いだろう。
キノコちゃん、ナスビくん、ハンペンくんとこどもが主人公になっているのも上司と部下とは違う。
しかし、原因分析にロジックツリーを使ったり、仮設分析でマトリクスを使ったり、ギャップ分析をしたり、評価表を書いたりと、けっしてやさしい内容ではないと思う。
「頭のいい子ども向けの問題解決の授業」というのが本当のターゲットを表しているんだと思う。
しかし、これは、頭の悪い大人向けの問題解決の授業には向かないだろう。
頭の悪い大人向けには、実際に起きている目の前の題材をこういう本のツールを使って解いてみせるのが一番いいと思う。

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