書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 書店問題



誠光社店主の堀部さんの本。恵文社一乗寺店の店長だった頃に京都のいくつかの店を取材して書いている。
堀部さんはこういう取材の文章も書けるんだと思った。とても読みやすい。ガケ書房の山下さんとの座談会も最後に掲載されている。けっこう仲良しだったんだとわかった。今年の5月で閉店した三月書房の宍戸さんのことを先生だと思っていたことも知った。この前は三月書房のことをけっこうdisっちゃったなあ。あれは堀部さんにとってとても不快だったんだろうと後悔した。
儲からなくても個人店を営むこと。それは街にある種の力をつくること。そういう堀部さんの思想を感じた。
恵文社一乗寺店の名物店長を止めて、自分で店を開いた経緯もよくわかった。
本、書物、文字コンテンツ、どう呼んでもいいのだが、本屋は書籍を売る。書籍という物体の持つ意味、棚に並べるということ、その意味がこの本でわかる。本はその横の本と並ぶことで意味を持つ。それは客があるイメージを膨らませて買っていくことになるんだけど、本の購入はそこで終わらない。客が家に帰ってから時間をかけて読む。その行為自体が消費であり、快楽である。そこでも終わらない。客の記憶に残る。それが生活に生きたり、人生に生きることもある。ずっとフレーズが残る本もある。棄てられない本。もはやそれはふつうの物体ではない。位牌か骨壺のように霊魂が宿っているかのように思えてしまう。
堀部さんは客がそういう経験をする機会を提供する。そういう仕事をしている。とても憧れる。でも、その知識や経験はこの本を読めばわかるが、誰にでもまねが出来るものではない。誠光社のレベルに素人が到達するには何十年もかかってしまう。だから、私に誠光社のような店をつくることは無理なのもよくわかる。
でも、書店を経営したい。その夢は消えない。
今は、その夢焼きのために誠光社に通っているのかもしれない。
このなんともいえない欲望を小説にしたい。
それは『ユークリッド空間の焚き火』を世に出すためでもある。

90年代のこと―僕の修業時代
篤史, 堀部
夏葉社
2018-11-01


 誠光社という京都の個人書店の店主、堀部篤史さんのエッセイである。
 12坪ほどの空間だが、今、京都で一番素晴らしい場所を作っている。あえて、素晴らしい書店を作っているとは言わない。ここは書店なんだけど、私にとってはそれ以上の場所である。
 詩や小説を書くインスピレーションが生まれる。どうしてだろうかとずっと思っていたが、今、気づいた。本棚に並ぶ本の背表紙は、「詩」だと思っている。これは、ある装丁家が言っていたことだ。本棚の本を一番上の棚の右から左に読んでいくと、詩になる。詩は一行一行を読んでいくことで何らかの意味が生まれる。詩情が生まれる。それと同じだ。書店の本棚の一番上にある本の背表紙から一行ずつ読んでいく。誠光社に入るといつもそれをする。楽しくて仕方がない。1週ごと、いや1か月も行けないときもあるが、いつも棚が変わっている。それが楽しくて仕方ない。いつも新しい詩になっている。入り口の右手側の棚。一番右は文学。次は詩。向かいの棚は絵画と絵本、その横は芸術。この書店は、文化人類学やサブカルチャーの棚もある。科学や哲学も少しある。ほとんどが私が読んだことのない本だ。見るのが初めての本も多い。たぶんこれからも読むことのない本のほうが多い。けれどいつも何冊かは買って帰る。ほかに100冊くらい積ん読本が待っているのに、誠光社では必ず本を買う。で、待っている積ん読本より先に読むことになる。この店で本の背の詩を読み、買った本を読み、それでインスピレーションが生まれる。
 このエッセイに書かれているのは、堀部さんが書店のアルバイトを始め、恵文社一乗寺店という個性的な書店の店長になり、そして今の誠光社を始めるまでのことが書かれている。といっても、書店のメイキング本ではない。その時代、その時代に堀部さんが感じたこと、考えたことが書かれている。
 この店のレジで支払いをするときに堀部さんと会話するのがとても楽しい。ほんの3~5分。いろんな話をする。店でかかっている音楽。哲学本のこと、バンクシーのこと、本を出版したいと思っていること、絵本のこと、いろいろ話す。堀部さんは、それが迷惑そうだ。顔にありありと「め・い・わ・く」と書いてあるのがわかる。でも、私は話をする。そのためにこの店に行っているからだ。
 この店を愛している。もしかしたら、堀部さんより、この店と何の関係もない私の方が誠光社のことを愛しているのかもしれないと思う。どうしてか? 
 それは片思いの女性を思い続ける感じに似ている。高校生のこと抱く淡い感情。決して成就しない恋心。でも、それでもいい。愛している自分を感じるのが心地よい。こんなにも純粋に18歳のころの感受性で愛した女性を愛し続けている。セックスがしたいとかそういうことではない。純粋な恋愛感情。おそらくその頃の自分にしか、あまり汚れていない純粋なマシュマロのような心でしか感じなかった恋愛。それを大事にしたい。できれば一度デートくらいはしたい。
 誠光社に私が感じるのはそういう感情だ。こういう書店を経営したい。でも、流通や本の知識、毎日の面倒なことの繰り返し、庭先の掃除、万引きの監視、釣り銭を間違わないための注意の持続。たぶん、そんなことに嫌気が差してしまい、結局うまくいかない可能性の方が高い。でも、こういう店を経営したい。時間があるときには好きな本を客よりも一番先に読んだりもしたい。そういう思いは消えない。誠光社のような店を経営することを考えるだけでわくわくする。
 堀部さんの店がとても好きだ。そういう感情を隠したりはしない。堀部さんにもいつもそのことを話す。この店が京都で一番いい。この店は京都の財産だ、と。
 堀部さんの仕事のじゃまをしないように心がけながらいつも堀部さんとの会話を楽しむ。「め・い・わ・く」の文字が額に見える。それでもいい。だって、片思いの恋なのは最初からわかっているんだもの。



人生には限りがある。読まなくてもいい本を教えてくれるならありがたいことだ。
と思ってこの本を読んだら、まず、ドゥルーズーガタリの『アンチ・エディプス』、ジャック・ラカン『エクリⅢ』はデタラメなので読む必要はないと言っている。
その根拠はアラン・ソーカルという物理学者が1996年に「境界を侵犯すること:量子力学の変換的解釈学に向けて」という論文を書いたら、ポストモダンの最も権威ある思想雑誌『ソーシャル・テクスト』に掲載された事件である。ポストモダンの思想家たちは物理学や数学の専門用語を濫用していたが、アラン・ソーカルはそういうデタラメな論文をつなぎ合わせて論文っぽく見えるように仕立ててパロディ論文として書いたのだった。難しそうな論文が実は科学的にはほとんどデタラメだったことがわかったのだ。
著者の橘玲氏自身が大学時代に一生懸命読んだものは、「ぜんぶクズだったのだ!」と書いている。
それから橘氏は、複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義を順に概括する。
複雑系では、ドゥルーズーガタリの提唱した「リゾーム」という体系は、ベノア・マンデブロという数学の天才が考え出した「フラタクル幾何学」でもっとクリアに説明できる、と。
経済学や政治学の古典を読むより、最近のポリティカル・コレクトネスにも影響を及ぼしている現代進化論を学ぶべきだとも言っている。ただ、生物学者の竹内久美子は進化論を悪用して、社会から批判を浴びる言説をまき散らしているだけなんだとか。
世界は、行動経済学やゲーム理論で説明できる。
意識は、脳のニューロン・ネットワーク、その電気的・化学的反応から意識は生じるものなので、フッサールとかの哲学なんて読む必要はないとも書いている。
でも、功利主義を考える上で、哲学者フーコーの『監獄の誕生』なんかを引用したりもしている。
文庫版書き下ろしの章で、トランプの熱狂的支持者でシリコンバレーの起業家、ピーター・ティールについても触れている。
キリスト教原理主義者は進化論を拒絶し、正しい歴史を教えるために「宇宙や自然界の神秘は科学だけでは説明できず、知性ある何かによってデザインされた」と主張する。ピーター・ティールは、反理性的なこの信念を、インテリジェントすなわち「神」から特別な才能を与えられた者たち(ギフテッィド)が、テクノロジーのちからによって世界を「デザイン」するのだと読みかえる。これが彼がいう「インテリジェント・デザイン」であり、彼の思想の危険な本質が見事に現れているとか。

「サイファーパンク」「クリプト(暗号)アナキスト」などとも呼ばれる、きわめて高いIQを持つ「知能至上主義者」が、仕事を失い中流から脱落しつつあるトランプ支持者の「プアホワイト」の陰謀論者たちを引き連れ、ポリティカル・コレクトネスのきれい事をまき散らす「エリート主義」のリベラルと敵対する。
この異様な構図が、シンギュラリティへと向かう知識社会(私たちの未来)の深い「闇(ダーク)」を象徴しているのだろう。(p.369)

結局、橘玲氏が読まなくてもいいと明確に書いているのはドゥルーズ・ガタリらの著作数冊。逆に複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義に関する100冊以上のブックガイドを載せている。
人生は限られているのだ。
自分の読みたい本から読むべきなんだろう。
実はこの本も読む必要のない本だったかもしれない。



この本が3年前に単行本で出版されていたことを知らなかった。
そのときは、「Title」という本屋が開店して10か月の記録だった。今回はその文庫本化で、3年後に書いた一章が追加されている。
古本屋ではなく、新刊本の書店が新規にオープンすることは珍しいらしい。逆に大型書店でも続々と閉店に追い込まれている。先日、京都のジュンク堂が閉店した。

「店まで行かなくても本を買うことのできる時代では、本屋という場所自体が、これまでとは違う意味を帯びてくる。最近できた店を見ていると、本屋は、<本を売る場所>といったこと以上に、<本を媒介としたコミュニケーションの場>になりつつあると感じる」

と著者の辻山良雄氏は書いている。辻山氏は西武セゾン系の大手書店リブロに18年間務めた後、今の書店を始めた。併設されている8席だけの小さなカフェを奥さんが運営する書店&カフェの家族経営だ。二階に小さなギャラリーもある。場所は荻窪と西荻窪の境あたり。
谷川俊太郎がこのカフェを雑誌『散歩の達人』の取材で好きな喫茶店として紹介したとか。
「Titleは、今の時代の新しい流動的なサロンになっていくかもしれません」というコメントを記事に書いた。
Titleでも本が売れるのは著者のトークショーやギャラリー展示などイベントに左右されるとか。
今、日本には1万4000軒の書店と3500社の出版社があると言われている。書店には古書店も含まれているが、無くなる勢いの方が大きいだろう。本が売れない時代なのだ。
この本は開店する書店の記録という体裁をとりながら、文学的な仕上がりになっている。けれど、最後に付録の事業計画書があったり、本屋を開店するための豆知識も多い。たとえば、スマレジというiPadを使ったレジシステムだと初期費用で13万5000円で済み、月額4000円で10万点まで登録できるらしい。付録の事業計画書によると、Titleの場合、初期運営費を含む投資額は1千132万円。最初の10か月の利益は250万円とか。これは書店経営ではかなりいい線みたい。
ただ、最初の一年間は11時から21時までの開店で、実際には9時半の準備から閉店後の21時半頃まで働いていた。昼はコンビニだが、忙しいときは昼ごはん抜きもしばしば。休みは週一。
2年目からは営業を12時~21時に変更し、夏休みを5日、春秋にも3連休を取るようにしたとか。税金を払うよりバイトを雇うほうが気持ちよく働けるという知恵。
店に来る客には、デートのカップル、あれこれ話をして何も買わない客、インスタに上げるためだけに写真を撮っていく客もいて、さすがにむっとすることもある。

「本を買うとは個人で本棚と向かい合い、数多くの本のなかから何を選ぶかを決めていく行為なので、そもそも誰かと一緒に見て回るという時点で、本と出会うということは難しいなと思います」

また、この店にいることが楽しみだった老人が亡くなったときに、家族から感謝されることもあった。

「わたしは人生の最後の方に関わっただけだが、ご遺族のかたから話を聞き、お礼を言われることはつらい」

違う県に引っ越すけれどこれからもTitleに定期的に通いたい、と言った人が、ほんとうにまた来てくれたときは嬉しかったとか。

ささやかだけれど、役に立つこと。A Small, Good Thing.
レイモンド・カーヴァーの短編を読んだときの感覚を思い出した。
あれはパン屋の話だったけど、毎日の積み重ねが信頼を築いている。
日々の出来事がある意味、事件でもある。

人情話は多くないけど、心温まる本です。



ホホホ座のことを侮ってはいけないと思う。
サブカルのニートまがいとか、売れない本や中古レコードに執着する連中とか、最低の生活でも満足する危ないひとたちとか悪口を言ってはダメだと思います。
サブカルの「ガケ書房」、日常カフェ系「コトバヨネット」、中古レコードの「100000t」なんかがが合わさって2015年4月にできたのが「ホホホ座浄土寺店」ってことらしい。
なんだかんだで、名前だけ共有するホホホ座が今治や金沢なんかに数年で10店舗に増えた。
なかにはデザイン会社の店舗部門として運営しているところもあれば、道ばたみたいなところでコーヒーを焙煎して立てている店もある。
「ていねいな暮らし」「セレクトショップ」「夢を持とう!」...的なものに疲れてしまった人々を相手にしている店舗ってことらしい。だから伊丹十三的な多趣味なおじさんラインとか、白州正子的な審美眼ありますおばさんセンスとは一線を画すことになる。
でも、著者の松本伸哉と山下賢二の「往復便多」という対談で「で、実際始めてみたら思い描いていた最低限の暮らしさえもおぼつかなくて、最低の暮らしになったりして(笑)」って言っているように決して儲かる商売をやっているわけではない。
ホホホ座三条大橋店に行ったとき、「ここ、あのホホホ座の反省文のホホホ座ですよね。あの本売っていないんですか。立ち読みしたけど買いそびれていて」と店の人に言ったら、カウンターの中の男女二人が、「はい! 売り切れました」と明るく答えてくれた。
おいおい、補充しとけよな、マーケティングの機会損失だろが...と思ったが、決して言わなかった。
ホホホ座というのはそういうゆる~い世界を売っているんだと思います。
でも、なんか残っていきそうな予感がする時代です。

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