書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: ジャーナリズム・マスコミ



たちばな教養学校Ukonに講師としてお招きしたフォトジャーナリストの安田菜津紀さん。「サンデーモーニング」にも出演している人だ。
講演は、ガザでの取材から民族浄化の危機について考え、名古屋の入管で亡くなったウシュマさんの問題から自ら三世である在日朝鮮人の問題とグローバルに人の命と人権に線引できるのか?と問いかけていた。
彼女は36歳だが、その感性はフォトジャーナリストの吉田ルイ子さんを思い出した。とてもしなやかな感性で差別の問題などを捉える。

帰ってから、この本を読むと涙が止まらなくなった。

彼女の撮る写真は戦地でも美しい。その美しさのなかに絶望と希望を感じる。

私はシャッターを切るとき、二つの願いを込める。ひとつは、目の前の「あなた」の傷が一日でも早く癒えるように。もうひとつは、二度と同じような人々が傷つかないようにー。そのふたつともが、毎回打ち砕かれ、家族たちは引き裂かれていく。

在日三世であることを父親は言ってくれなかった。母と離婚した後、父は孤独な死を迎えていた。兄は過労自殺で亡くなっていた。
彼女が、家族とは何か、故郷とは何か、ルーツとは何かを探す旅で見つけたものは何だったのだろうか。

占領も、戦争も、起きてしまったのではなく、起こされてしまったの生まれてきたしまった生まれてきたしまった」のではなく、「生まれてこれた」と言えるよう、自分の命を何に使うのかを考えています。


ジャン・ポール・サルトルのような思索。

彼女がルーツを探す旅で出会った人々と一緒に取っているスナップは誰かに撮ってもらったものだろう。それらの記念のスナップの中では、どの写真でも安田菜津紀は弾ける笑顔で収まっている。
スナップに映るほかのどの人よりも明るく。

それは、私はここにいる、ということを誇らしく示するように。

黒い海 船は突然、深海へ消えた
伊澤理江
講談社
2022-12-22


2008年の漁船沈没事故。
冒頭から100ページ辺りまではスリリングな描写でグッと読者を太平洋の油まみれの海に連れて行く。

三角波にぶつかった?
それにしては早く沈みすぎている。何かと衝突したような音が二度聞こえたのはなぜか。甲板に海水を誰も見ていない。
では、何にぶつかったのか?
著者が調べていくうちに、過去のえひめ丸などの事故からどうやら潜水艦が浮上するときに辺り、急いで下降するときにもう一度船体に当たった可能性が見えてくる。
しかし、アメリカや日本の潜水艦なら隠し通すことはできないので、公表して謝罪するはず。
では、どこの潜水艦が当たったかのか?

推理小説なら犯人やトリックが分かって終わるはず。
そういう思いでこの小説を読み進めると、裏切られる。
しかし、こういう終わりかたもあるのだろう。
誰もが傷つき、忘れられない想い出がある。
しかし、それが家族の死やもっとつらい思いでのなかで感情が上書きされていく。
そうやって誰もが生きている。
この小説は犯人がわかることより、そういうことが言ったかったのではないだろうか。

緻密な調査の上にこの小説は成り立っている。
被害者の思いを伝えるには、そういう作業が必要だ。
それはどんなことにも当てはまる。
思いを伝える。
この小説はその大切さを教えてくれる。






伊藤亜紗の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で、視覚障害者と健常者が絵画を鑑賞するソーシャル・ビューイングという営みがあることを知った。その本にも白鳥さんは少し出てくる。伊藤亜紗は少し哲学的な興味で目の見えない人の世界を考えたのだが、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』はソーシャル・ビューイングの実際をノンフィクションで描いたものだ。

この本には、著者の川内有緒が、友人のマイティ、ゆみ、全盲の白鳥健二さんたちといろんな美術館で絵画や仏像、変わった芸術を体験する話が軽い文体で綴られている。
そうなんだけど、読み終えると伊藤亜紗の描く目の見えない世界よりももっと深くて豊かなものが残る。

白鳥さんと著者たちが、クリスチャン・ボルタンスキーの顔のない人が電灯を顔にしているオブジェやボタ山にしか見えない物の上に電灯が光っているもの、ネオンサインで自分の残りの時間が示されている展示物などをいっしょに見た後の会話。
有緒 ああやって、みんなの会話を聞いていると、白鳥さんの頭の中にイメージができあがるの? それが記憶に残ってく? 色とかも。
白鳥 うんまあ今日だったら、色は特徴的だったから印象として残ったね。青い電球の光とか紫のネオンとか。
市川 それって別々の「色」として識別してるんですか?
白鳥 ううん、概念として残るだけ。電球の青さの加減まではわからない。たぶんそれをいくら説明で聞いたところで、俺の頭の中では(記憶のストックがないので)細かくは再現できない。でも、「青い」「電球の光」という概念は残るんです。
目の見えない人が芸術を見るということはどういうことなのか?
それは伊藤亜紗が思ったように、盲人の環世界ってどういうものなんだろうかという生物学的な興味でもあるだろう。ただ、全盲といっても、いつ全盲になったかで、光や色などの記憶による像の描かれ方は違うようだ。
白鳥さんは光の記憶は少しあるが、幼い頃からものが見えたわけではない。
だから光や色は像ではなく、概念として残る。
有緒 白鳥さんはどういうときにムラムラするの? 美人とかおしゃれだな、とか視覚情報がないとなると、なにがポイントになるんだろ。
ゆみ お、いきなり核心に。
白鳥 俺ねえ、20代とかのときは、匂いがけっこう来てたよね。
有緒 ああ、匂いね。
ゆみ 匂い大切!
有緒 ああ、なんかこのひといい香りするなあとか。
白鳥 そうそう。でね、ここ数年ね、たぶん40代になってからかなあ、なんか匂いに反応しないような気がするの。最近、どうしたことかと思って(笑)。
会話はいつもこんな感じで、女子高生の恋バナと変わらないような気がする。
この会話はこの後、白鳥さんは最近では声に惹かれるという話になる。
白鳥 うまく言えないけど、ソフトな声のひとだと思う。例えば(ボルタンスキー展に一緒に行った)眞由美さんの声はすごくよかった。声の出し方とかも力が抜けた感じで。だから、俺の場合は、見た目じゃなくて「声」で騙される。でも、それって、見た目で騙されるのとあんまり変わらないんじゃないかな。
有緒 でも、声の方が、見た目より本質を表す気がしない? だって体の内側から発するものだから。そうだ! 白鳥さんは、奥さんとすごいラブラブなんだよね。
ゆみ へえ~!
女子高生の恋バナと何が違うのか?
それは年齢差もあるが、そのなかに一人全盲のひとがいるってことだけだろう。
ソーシャル・ビューイングのワークショップは「見える人と見えないひとの差異を縮めることではなかった」と水戸芸術館でそのワークショップを主催した森山さんは言った。
見えるひとと見えないひとが一緒になって作品を見ることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて「対話」という旅路を共有することだ。
著者の川内有緒は、「むしろ違いがあるからこそ発見があり、自分の海域が豊かになる」とも表現している。

そんなことをしているうちにコロナになった。
川内有緒は、オルセー美術館のオンライン鑑賞を提案するが、白鳥さんは乗り気ではない。
著者は白鳥さんに電話する。
よく白鳥さん自身が著者に電話をかけてきたからだ。
でも、実は白鳥さんは電話は「苦手だね。どっちかというと」と答える。
頭の中で小さな光が点灯した。わたしはなにか大きな勘違いをしてきたのだろうか。
「ねえ、それって実際に顔を合わせることで、いろんな情報を受け取っているってことだよね。ということは、鑑賞のときも言葉とか会話はひとつの情報でしかなくって、空気とか雰囲気とか、そういうものから多くののものを受け取っているってことだよね」
「そうそう、そのひとがどっちに向いて話しているのかとか、声の大きさとか。距離とか」
「なるほど、大切なのは言葉とか耳からの情報だけじゃないってことか」
コロナでわかったことがある。
空間を共有することの意味だ。
それは目の見えない世界にいるひとはいつも感じていたことなんだろう。
うつむいてしかしゃべらないひとがいる。体を横にして拗ねたふうなひともいる。
それらは何かのサイン、表現なのだ。
うつむいてしゃべるのは何かが怖いのかもしれない。横を向いているのは鼻から態度で相手への批判を示しているのだろう。それは声だけでも感じられることなのだ。

でも、最近の医療技術の進歩はめざましい。
3歳で交通事故に遭い、視力を失ったひとが46歳の時に幹細胞移植手術で視力を取り戻した例もある。
でも、その話をすると白鳥さんは即座にこう答えた。
「俺はなりたくないね。小さい頃から目が見えないままでやってきて、今さら見えるようになったら余計大変じゃないかな!」
彼はこの世で偶然に与えられた体を受け止め、今を楽しんでいた。
著者はそう感じた。

みんがみんな白鳥さんのように生きているわけではないだろう。
白鳥さんは最初のデートで美術館に行ってから美術館の魅力にはまった。その後は、美術館に電話をかけまくって、美術館で誰かにアテンドしてもらえるところを探した。それは何度も何度も断られても続ける行為だった。
そんな前向きなひとだから今の生を受け入れ、自分の生きてきた体はほかの誰かと取り替えようがないことが理解できるのだろう。

著者は大学生の頃、映画監督を志していたが、挫折して海外に行った。
そして十数年後、白鳥さんと出会い、その経験を映画にしようと思った。
そのなかでホシノマサハルという白鳥さんの友人へのインタビューがある。
ホシノさんはソーシャル・ビューイングのワークショップに昔から関わってきたひとだ。白鳥さんの飲み仲間でもある。ホシノさんの前でいつも白鳥さんは飲み潰れる。
僕はけんちゃんの頭の中に入り込めない。感覚にも入り込めない。ただ寄り添うだけなんですよ。このことがどれだけ大事なことか。視覚障害者の気持ちになれたと思い込む時点でアウトなんですよ!そのアウトさが世界を覆い尽くしていく。

でも、見えるひとがアイマスクをつけて過ごしてみることは、想像力を働かせるきっかけくらいになれるんじゃないですか?
著者はそういう疑問を持つ。
しかし。
僕らはほかの誰にもなれない。それは心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態のひとにも、多動症のひとにもなれない。視覚障害者にもなれない、僕らはほかの誰にもなれない。ほかの人の気持ちなんかにはなれないのに、なろうと思っている気持ちの浅はかさだけがうすーく滑っている、そういう社会なんですよ、今の社会は。だから気持ち悪いの! だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で笑いたいんですよ。

僕らはほかの誰にもなれない。
この世界で、笑いたいんですよ。

著者がこの二年間、白鳥さんとマイティと一緒にやってきたことはこれなんだと気づく。
ただ一緒にいて、笑っていられればそれだけでよかった。

絵を見る。芸術を鑑賞する。
それはどういうことなんだろうか?
もちろん一人で美術館に行って、美しいとか、変わっているとか、好きだなこの絵と思い、何かの感情を動かして満足することもあるだろう。
でも、それを誰かに伝えて、それはその人も同じものを見ていて、その感情を共有できたらもっと楽しい。
感情の共有、価値観の共有ってことなんだろう。
それは違うひとが違う価値観で見たものの共有でもある。
ひとつのものが違う角度から、違う視点から写り、それを共有する。像がより豊かになる。
もしかしたら、それが人間がものを「見る」ということなのかもしれない。

著者が最後に白鳥さんに「幸せを感じるときってどんなとき?」という質問をする。
それは「話が通じるとき」という。物の見方とか、価値観とかそういうことが通じるとその人と話せて良かった、この人がいてくれてよかったと思うと言う。
有緒 じゃあ、ちょっと抽象的な質問だけど、あのさ、その幸せはどこにあると思う? 体験の中にあるのか、自分の気持ちなのか。
白鳥 うーん、俺にとっては時間だよね。うん、時間の中だね。
有緒 時間の中に幸せは流れる?
白鳥 うん。時間だから。それはとってはおけない。あとはその経験を自分がどれだけ信じるか、思い出して確かなものだって信じていけるかっていうことかな。
白鳥さんはときどきだ誰かが「過去の記憶」と言うと、それは「現在の記憶でしょ」と訂正する。
その理由は「記憶は上書きされるもの」だからだ。
そんなこというと裁判の証言なんかは身も蓋もないのだが、時間とともに記憶が変容するのは事実だ。
幸せを感じる感情も時間とともに変化する。
それをとってはおけない。
あとは思い出すだけ。それを信じるだけ。

エピローグの最後に三枚の写真がある。
一枚は、どこかの家が写っている風景。明らかに右に傾いている。
二枚目は、夜の風景。どういうわけかかなりピンボケ。
三枚目は、白鳥さんが部屋の中で座っている写真「けんじの部屋」。
上の二枚は白鳥さんの趣味のカメラで撮った写真。
白鳥さんはあちこちで写真を撮っている。
白鳥さんは夢だった全盲の写真家になったのだ。

全盲の写真家。

この形容矛盾。

この本は、「見える」「見る」ということについての深い問いである。
答えはそれぞれで考える。

今年出会った最高の本!
まだ、1月6日だけど。



どうしてモンテレッジォが本の行商で有名になったのか。

資源としてあったのは、「脚力と胆力」。山奥なので歩く力と根性はあったのだろう。
ヴェネツィアで著者の内田が古本屋の店主に聞いたら、
「腕力です、男たちの。それもいよいよ売れなくなると本を売り歩くようになりました」
という答えだった。
「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなると、他所にも働き口はなくなった。村には特に売る産物はありませんでした。それで本を売ったのです」
1816年イタリアは飢饉と異常気象に見舞われた。
モンテレッジオの人々は聖人の祈祷入りの絵札と生活暦を籠に入れて売り歩いた。
天変地異におののき飢餓に苦しむ人々をモンテレッジオの行商人たちは神からの加護を届けた。
ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史である。本の歴史もキリスト教の歴史である。1448年バチカン図書館を作るために教皇は本を各地から買い集めた。
モンテレッジオの行商人たちは出かけるとき、神のお札を籠一杯に詰めて出かけた。そして帰りにはキリスト教関係の本を籠に一杯詰めて帰った。
その後、イタリア統一運動があった。独立するために世の中の動きを知る必要があった。それで本が必要だった。モンテレッジオの行商人たちがその役を担った。
競争相手は各街の本屋だった。モンテレッジオの行商人たちが安く売りすぎると抗議した。モンテレッジオの行商人たちも各地で書店を始めるようになった。
人口の少ない街、けれど露天商で人気のある賞を作って毎年表彰したり、犬と一緒に走るマラソンの行事なんかも開催して人々の関心を集めている。

モンテレッジオの成功の要因は、飢饉や統一運動など歴史的な変化のなかで人々が知識を得たいという需要が生まれた。巡礼のルートの山奥にあったモンテレッジォの人たちは、村には何も売るものがないので、脚力と胆力で本を運ぶことでその需要をうまく利用した。
露天商の賞を与えることなどが販売促進になった。
そういうことだろう。
競争相手は街の書店。そこは、物流コストが自前であるモンテレッジォの行商人の価格競争に分があった。
そういう歴史が、その後モンテレッジォ出身者たちが各地で開いた本のソムリエ的な書店の伝統に繋がっているのだろう。

この本は、本の意味、本が流通するしくみを考える上でもよい本だ。使われている著者撮影のカラー写真もすばらしい。
名著!

アムンセンとスコット (朝日文庫)
本多 勝一
朝日新聞出版
2021-12-07


20年以上前に読んだ本だが、河野通和氏のサイト『河野文庫』に触れられていたので読みたくなった。
でも、読んだのが昔過ぎて記憶にほとんど残っておらず、アムンセンとスコットのどちらが先に南極点に到達していたかも忘れていた。

解説を山口周氏が書いている。
①マネジメントの側面=権力格差の大小
②パーソナリティの側面=内発的動機の有無
という視点からの分析だ。
スコットはイギリスの軍隊の階級制度に基づいて隊を運営した。南極探検隊で亡くなったメンバーは軍隊で階級の低い順だったとか、隊長を受諾したのに二日間かかったのは優柔不断のせいだとか山口氏は指摘している。マネジメントとパーソナリティの両面でスコットはアムンセンに劣っていたと。
でも、そうなのか?とも思う。

スコットが敗れて、帰路で遭難するのが単なる不運だというつもりはないが、この物語を山口氏のようなコンサルタントやMBA視点とかで片付けるのはもったいないような気がする。

本多勝一があとがきで書いているように、探検家は「冒険」を求めているわけではない。未知を探ることが探検の目的なので、安全に越したことはない。しかし、未知を知るには何が起きるか分からない世界に踏み込むことになる。そこには危険を察知し、それを回避するための「万全の準備」が必要になる。アムンセンはスコットよりそれが優れていた。そういう意味のことを本多勝一は述べている。
その通りだと思う。
では、目的のために日常で重要視していることはどこまで捨てられるのだろうか?
目的のために何を犠牲にしてもいいのだろうか?

アムンセンは犬ぞりに使った犬も食用として計算していた。動けなくなった犬や妊娠している犬を射殺し、帰りの食料のためにデポと呼ばれる基地に残したりした。
南極点を目指す隊員をきっちり4人にした。テントに入れる4人をきっちり選んだのだ。
一方、スコットは犬でなく馬を選び、射殺した馬の肉を多くは犬の餌にした。南極点にアタックする人数を4人ではなく、5人にした。ひとりでも到達させてやるためだった。情が理に勝った。
しかし、そういう情が理に勝ったスコットの最期は隊員たちに自殺を促す薬物を与えて、大吹雪の中で死に至らせることになった。
目的のために従属させるのは人の命、いや自分の命だけのはずが、その命も失うことになる。
準備が万端でなかったのだ。
読んだリスクに対して、現実の災難の大きさが上回ったのだ。

だが、南極アタックには準備万端だったアムンセンも北極探検で遭難した者の救助に向かった北極海で遭難し、命を失った。
探検家は通常の人と考えることも違うのだろう。
アムンセンは最後に何を考えたのだろうか?
自分の歩いてきた探検の道。到達してきた記録。そういうことなんだろうか。

アムンセンが南極点に到達したとき、隊員が持っていたタバコにひどく喜んで、それを吸った情景が書かれていた。
南極点で吸うタバコ。
アムンセンは亡くなるとき、そういう一瞬を思い出したような気がする。
たぶん。

人にとって人の命より大事なものとは何なのだろうか?
アムンセンとスコットにとって、それは地理的に未知な場所への探検だった。
自分の命以外のあらゆることがそれに従属した。

では、アムンセンとスコットにとって、生きている実感が一番得られることって何なのだろうか?
南極点に向かう前、沿岸に船を止めてワインなんかを飲んでいる日常も書かれていた。そういう日常の楽しみを極限の状態で味わう。日常の大切さを感じる。日常の喜びを感じる。
その一瞬だったのかもしれない。

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