書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 仕事術



先日、堀内都喜子『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか 』(ポプラ新書)を読んで、いったい北欧の人たちはどんな仕事の仕方をしているのか疑問だった。

結論から言うと、本当に午後4時までにすべてを終わらせて切り上げる人もいれば、終わらなかった仕事を家に持ち帰り、夜、子どもの就寝後に1~2時間仕事をするひともいる。夜ではなく、早朝、家族が寝ている間に仕事をする人もいる。
なんだ、いくら効率的なデンマーク人でも、やっぱり午後4時に終われないのか。読者の皆さんをがっかりさせてしまったかもしれない。
だが、私はむしろ、だからこそ、国際競争力ナンバーワンのリアルな説得力があるし、日本人も勇気づけられるものがあると思っている。
著者の針貝氏はこう書いている。

じゃあ、フィンランド人は違うのかと言うと同じようなものだろう。
フィンランドに移住した日本人でノキアの社員は、こう書いている。

「残業しない」のが通常であり、時間内に必要な業務が終わるよう、時間配分しながら働いています。私の場合、通勤は車で片道15分なので、プライベートの時間も十分取れています。新型コロナウイルスのパンデミックが起きてからは、いつでも在宅勤務ができるようになったので、通勤しない日も多いですね。

ただ、ラインマネージャー(日本でいう管理職)になると働き方が変わり、夜間や週末に働くこともあるようです。彼らは一般社員とは給与水準が異なりプレッシャーもあるため、自身の裁量で責任を持って働きます。



ポイントはそこではなく、どちらの国も家族との時間、プライベートの時間を大事するために仕事をするという姿勢だろう。
だから、仕事終わりの時間から逆算してすべての段取りを立てる。
ほかに拾ってみるとこんなのがある。

・会議は終了時刻を決めておく。延長はしない。
・会議の時間を「中途半端」に設定してみる。
・会議の冒頭でみんなでアジェンダを共有する。
・意思決定に関わる人数を減らせるか? と考えてみる。
・相手のコミュニケーションコストを抑える。
・無駄なダブルチェックをなくす。

LEGO社では、誰とでもフラットな関係を築いている話があった。
清掃員と社長が話すこともあり、現場で起きていることを把握するからだとか。正確に問題を把握すると、正しい問題解決ができるから。





齋藤孝が2003年に書いた本。
この人、最近では『全力脱力タイムズ』でとぼけた東大卒の教授を演じている。本当に多才で器用な人だ。
この本には齋藤孝が考える器用に質問するためのスキルが書かれている。

まず、『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)に書いた3つの力が大事だと説く。

①まねる(盗む)力
②段取り力
③コメント力

このうちのコメント力はコミュニケーション力にほかならない。
質問するという積極的な行為によってコミュニケーション力を自ら深めていく、という提言をしているのがこの本だ。

具体的なスキルとして、三色ボールペンで質問を色分けするそうだ。
齋藤孝は三色ボールペンの使い方の本も書いている。ホントに三色ボールペンが好きなんだなあと思う。

青:相手の話に線を引く
赤:大事なところに線を引く
緑:自分が主観的に思ったところに「?」をつけて、質問の文章を書いて、かっこでくくるか丸でぐるぐる囲う

そして緑でぐるぐるした質問を投げかける。
私もやっているが、この方法は案外役に立つ。

「いい質問」とは何か?
齋藤孝はそれを「具体的かつ本質的」である質問だと言っている。
本質的かつ具体的というほうが覚えやすいかもしれない。
つまり、縦軸に「本質的」←→「非本質的」の線を引く。
横軸に「具体的」←→「抽象的」の線を引く。右上にある質問が、「本質的かつ具体的」な質問になる。
齋藤孝はその例で、TSUTAYAが金曜の昼休みにiモードを使って行った調査の質問肢のことを書いている。TSUTAYAはこのときに「あなたは今どこにいますか」という質問肢を入れた。すると三万通のメールに2000通もの返信があった。驚くべきことに過半数の人が学校か職場にいることがわかった。実際には授業中や勤務時間中にアンケートに答えてくれていたらしい。
パソコンを開かないといけないそれまでのWebアンケートではあり得ないことだった。それからiモードの使い方がわかったという。

「あなたはどこでiモードを使いますか」という質問だとそういう答えは返ってきていないかもしれない。過半数は電車とか公園とかだったのかもしれない。
iモードを使って回答する「今いるところ」こそ本質的な問題なのだ。
そして具体的でもある。
「本質的かつ具体的」な質問をするように心がけたい。

齋藤孝が博識な大学教授だと思うのは後書きで、質問の達人として、ソクラテスや孔子に触れているところだ。古典からの引用が不思議とビジネス本という装いを高級にしている。
極めつけはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からの引用だろう。
主人公のイワン・カラマーゾフが弟のアリョーシャに語る「大審問官」の話がある。キリストと悪魔の対話だ。
悪魔がキリストに言う。
「お前が神の子なら、石がパンになるように命じてみろ」
「お前が神の子なら、この塔の上から飛び降りてみろ(それでも無事なはずだ)」
「お前が私にひれ伏すなら、この世のすべての栄華を与えよう」

キリストはそれぞれにこう答える。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」
「神を試みてはならない」
「ただ神にのみ仕えよ」

この有名な『マタイ伝福音書』でドストエフスキーが注目したのはキリストの回答ではなく、悪魔の質問のほうだ。
「この三つの問いには、人類の未来の歴史全体が一つに要約され、預言されている。この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれている」
とイワン・カラマーゾフに言わせている。

齋藤孝の「本質的かつ具体的」な質問は、こういう博識さに支えられているのだと思う。
ここまで来ると、みんながマネできる技でない。
しかし、話を聞くときに「本質的かつ具体的」な問いを考えながら聞くというのは、話の内容が深まると思う。



ムダな業務、ムダな資料、ムダな会議が多い。
というのはよく聞く愚痴。
でも、会議はなかなか主催者に言いにくい。
だって、主催者はムダだと思っていないことが多いもんね。集めるだけで満足したりしている権力を持っている人だもの。

末松千尋『会議の9割はムダ』(PHP研究所)では、多くの会議研究から、会議は業務全体の30~60%を占めていると言っています。末松教授はアメリカのビジネススクールから中国の共産党まで会議をつぶさに調べています。

会議は「有効性」を重視すべきか?それとも「効率性」を重視すべきか?がよく議論されるのですが、末松教授は「会議の<有効性>は参加者の主観により、状況により捉え方は様々で、統一的、客観的な判断は不可能」と言います。
しかし、「<効率性>はコントロール可能だ」と。
効率性が高いとは、ある活動をより少ないインプットで実現することです。

よい会議は次のような世界共通の要素があるそうです。

・なぜその会議をするのか、その目的が明確 
 例えば、連絡調整か、それとも仮説検討かなど
・誰が何をするのか、参加者の役割と責任が明確
・どのように進めるのか、進行手順が明確
・誰が何のために参加しているのかが明確
 例えば、参加者が厳選されているとか、参加者のベクトルが合っているとか

会議をすべてなくすと、すべてうまくいくというのも極論です。
会議をどう効率的にするか?
それを議題にするだけで、開催回数が減ったり、会議時間が短くなったりと、けっこう解決するものです。




よのなか、いろんな「力」があるもんだ。

「きれいな部屋に住んでいる人は、内面もきれいです。つまり、心が美しいのです。」

と言い切る著者がすごい!

しかし、本棚の整理法のくだりは参考になった。

「知性を磨く本棚にするポイントは二つあります。
・スペースに合わせて保有する
・定期的に本を動かす」

一冊買ったら一冊捨てる。
本の場所を入れ替えて手に触れるとか。

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