書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 人間学

勝負心 (文春新書 950)
渡辺 明
文藝春秋
2013-11-20


羽生善治を「生きた教材」と言う渡辺明竜王。
現在30歳の彼は羽生氏と14歳の年齢差がある。
これまで将棋界は大山康晴、中原誠、谷川浩司という天才を生み出してきた。
羽生善治の登場によって、それまでの歴史が塗り替えられた。
羽生の登場は、コンピュータソフトを使いこなす世代の代表のようにも言われたが、この世代の層の厚さが羽生を生んだとも思える。
羽生世代は定跡の体系化をはかり、将棋をシステマティックにした。島朗九段がデータベースをつくり、『羽生の頭脳』が画期的な定跡書になった。
その次の世代の代表が渡辺明竜王。
将棋界に限らず、常に新たな世代が前の世代を乗り越える。
羽生の新しさは既存概念にとらわれない戦術とともに休みの日に水泳などスポーツを楽しむ姿だった。
渡辺は競馬が趣味で、対局の直前まで競馬中継や競馬新聞を見ているらしい。
大胆な発想の反面、対局中にお菓子を食べるのは、自分の手番というように対局者に対して細かな神経も持ち合わせている。
熱意こそ才能。
渡辺はそう言う。
渡辺の強さは、将棋への熱意を研究に注ぎ、熱意を持ち続けられるところだろう。

マンデラ 自由への長い道 DVD
イドリス・エルバ
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2015-12-02


27年間投獄されたあとその国のリーダーになる体験をした人は後にも先にもこの人しかいない。

27年というのは想像するのも難しい。

子どもが生まれ、結婚するくらいの年月だ。

英雄として、家に戻ってきたら、妻の心はすでに離れていた。

解放運動で妻も英雄になっていた。お互いの孤独の時間。

マンデラはそれでもすべてを赦し、白人との共存の道をつくる。

この人の人生の前ではどんな問題もとても小さく見える。





原題:MANDELA: LONG WALK TO FREEDOM

製作年度:2013年

上映時間:146分

製作国:イギリス,南アフリカ

監督:ジャスティン・チャドウィック










1993年に出版された本。

著者は日産で16年間連続トップのセールス記録を持つ奥城良治。

一昔前に流行ったモーレツ・サラリーマンの啓蒙書である。



「奥城・鬼十則」の第十条にこうある。

トップ・セールスマンとは、最も多くの侮辱と屈辱を受けた男である。

トップ・セールスマンとは、最も多くの断りを受けた男である。

トップ・セールスマンとは、最も多くの失敗と敗北を喫した男である。

しかし、トップ・セールスマンとは、この侮辱と敗北の苦しみを、敢然と乗り越えた勇者である。

(p.190)



先輩の技を盗み、他業種のトップセールスマンに同行させてもらい秘中の秘を学ぶ。

やがて、ただ売り込むだけの限界を感じて、客の喜ぶ話題を提供することを覚える。

学歴のない著者は、客との話題作りのため、がむしゃらに教養知識を吸収し、客との話題を豊富にした。

ラジオの教養講座を録音し、興味のある本はバイトを雇ってテープに吹き込み、車での移動中に聴いた。

休みの日も散歩には広告と名刺を持参して、あちこちの車のフロントガラスにはさんだ。

売るために、一分一秒を無駄にせず、ひたすら目標に邁進した。



今となっては時代遅れのやり方かもしれない。



しかし、不思議に心を打つ。



侮辱と敗北の苦しみからしか成功は生まれない。

30年前も今も同じなのだ。



何度かの引越しでも捨てられずに、何度も繰り返し読む本になった

哲学、宗教、歴史の本より低俗なのは否定できないが、僕にとっては一番心に響くことが書かれている。


代表的日本人 (岩波文庫)
内村 鑑三
岩波書店
1995-07-17


 これは内村鑑三が職を失い文筆業で生活している時期に内村の理想とするキリスト教的世界と共通した倫理観をもって生きた日本人の伝記を解説した英書の日本語訳である。

 この本の解説にもあるが、もし内村の晩年にこの人々のことを書いていたらもう少し批判的な書き方になっていたのかもしれない。

 この本に登場する5人の日本人、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人に共通するのはその道徳観と行動である。自分の利益よりも社会の利益を優先し、質素を好み、自分の死後に残る世界の繁栄と平和までを考えて行動する。

 ビル・クリントンが日本人で最も尊敬するのは上杉鷹山だと言ったのは、この本を読んだかららしい。 

 『代表的日本人』ではどれも内村鑑三的なキリスト教世界観と合致するように日本の徳のある偉人たちが描かれている。そういう意味では誰もしっくりこないのだが、中江藤樹の記述には教育の原点を考えさせられる。

 母親を養うために養子に出されていた四国での武士の身分を捨て、近江(高島郡小川)に戻り、金貸しなどをした後、生活のために私塾を開く。ここで読み書きや朱子学、陽明学を教えるのだが、人の道を説くその名声がやがて全国に広まる。

 学識があるのが学者でなく、徳がなければ学者でない。人生の目的は学者になることでなく聖人になることである。日々善を積み重ねることで徳を得られる。

 では善とは何なのか? 徳とは何なのか?が疑問になるが、この先は陽明学を学ぶことで少しは解決するのかと思う。

 有名になるつもりはさらさらないのに、中江藤樹を全国的に知らしめたのは偶然だけでなく時代が中江藤樹の道徳を求めていたのだろう。




 西郷隆盛の遺訓が現代語の解説で読める本。サブタイトルは、無事は有事のごとく、有事は無事のごとく。

 西郷隆盛がどうして時代を超えて支持されるのかがわかるような気がする。



 西郷隆盛と大久保利通の違いは、西郷がかつて僧・月照と心中して命を失いかけたこと、大久保が欧米視察に行っている間、日本にいて欧米の都市や生活を実際に見ていないことの2つが大きいように思う。

 命を人に与えても良いという西郷の思い。大久保が西欧を理想としたのに対して、西郷は自らの理想の中に西欧の良いところを取り入れるというビジョンの描き方の差があるのだろう。

 しかし遺訓を読むとどうして西郷が征韓論に破れて下野したのか、どうして西南戦争に参加したのかがわかるような気がする。

 徳川幕府に失望して、明治維新により新政府をつくったまではよいが、かつての薩長の志士たちが西欧の贅沢な生活にふけり、手にした権力を振りかざし、旧階級を貧困に陥れている。こういう事態の推移に我慢できなかったのだろう。



 私の尊敬する人は大久保利通だが、大久保にとって、親友の西郷が西南戦争で命を落としたことは、歴史の逆回転に映ったのだろうか、それともこれを機に堕落した新政府が反省することを期待したのだろうか。



 そんなことも考えさせられる西郷どんの遺訓である。


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