書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 高等教育



アメリカの女性大学・危機の構造
坂本 辰朗
東信堂
1999-06-01




放送大学の教材だが、二つふるい版の『大学のマネジメント』という本を持っている。
それは放送大学のラジオ教材だったのだが、結構面白かった。

大学のマネジメント (放送大学大学院教材)
田中 義郎
放送大学教育振興会
2008-03-01





大学職員も執筆していて、ラジオでは実際のマネジメントの難しさなんかが話されていた。

今度読んだ『大学マネジメント論』は小方直幸とか両角亜希子とか高等教育の研究者が多く執筆している。東京大学の大学院のコースでも使われている教科書とも共通する。
大学職員が、大学のマネジメントの概略を掴むにはよい本かもしれない。



公設民営で自治体が最もお金を出したのは、静岡文化芸術大学の静岡県260億円、浜松市100億円だそうです。次が高知工科大学の高知県250億円。立命館アジア太平洋大学(APU)は大分県150億円、別府市が42億円でその次。APU以外は公立化しましたが。
APUは私立大学のやりたいことで地域を変えた特異な例です。だいたいは音楽・芸術の街、静岡・浜松では文化芸術。高知ではものつくりの工学とか地域の需要に答える構想で自治体からお金を引き出しています。大学のブランド力や大学のノウハウに頼った例は、APU、東北公益文科大学、東北芸術工科大学など。

公設民営にどれだけ自治体がお金を出したかを旭川大学が公立化(市立化)するときに有識者会議が資料にまとめています。

高知工科大学(1997年開学)高知県250億円。
静岡芸術文化大学(2000年開学)静岡県260億円、浜松市100億円。
名桜大学(1994年開学)沖縄県10億円、名護市53億円、その他の市町村3億円。
鳥取環境大学(2001年開学)鳥取県100億円、鳥取市100億円。
長岡造形大学(1994年開学)新潟県25億円、長岡市75億円。
福知山淑徳大学(2000年開学)福知山市27億円。
山口東京理科大学(1995年開学)短大開学時に山口県2.5億円、宇部市5億円、小野田市28億円。大学改組時に山口県17.5億円、小野田市17.5億円。

このほか、APUの開設時には、大分県が150億円、別府市が42億円出資していますが、総事業費は297億円だったので約3分の2は公費でまかなったことになります。
立命館によると大分県経済に及ぼす経済効果は年間約212億円なのだそうです。これで別府市の人口減少に歯止めがかかり、二十歳代前半の学生が居住する割合は九州で最大になったそうなので、まあ自治体も学校法人もホクホクということなのでしょう。

新潟も大学で自治体が変わった例ですが、1994年に開学した新潟国際情報大学は創設費用90億円を新潟県と新潟市が45億円ずつ出しています。
東北芸術工科大学は149億円の設置経費を山形県と山形市が半分ずつ負担しています。
東北公益文科大学は、慶應義塾大学のノウハウを活かした構想でしたが、山形県83億円、酒田市、鶴岡市など14市町村が67億円を負担しています。

その後、公立化した大学が多いのも公設民営化の特徴です。

ただ、この流れは国の交付税交付金の動きにも連動していて、運営費交付金とできる範囲が狭くなっていることに応じて、自治体も出資に二の足を踏んでいるようです。佐賀県では2006年に古川康知事が議会で国の制度として「廃止されることも伺っており」と発言しています。


平安女学院の守山市からの撤退などのように誘致された大学が自治体から撤退するケースが相次いでいます。
また、最近では姫路獨協大学のように公立化が議会で拒否されるケースもあります。

自治体としては、大学で経済を活性化したり、若者の比率を高めたい、人口減少に歯止めをかけたいなどの思惑があり、それに対しては出資してもいいということになるのでしょう。
どういう大学、どういう学部学科、どういう収支構造でどの部分に公設民営の公費を投入するのか?

それは自体体だけでなく私立大学も考えるべきことなのでしょう。

ルポ 大学崩壊 (ちくま新書)
田中圭太郎
筑摩書房
2023-02-09





京都大学の吉田寮の問題から始まる。
老朽化により立て替えられると思われていた吉田寮が大学のガバナンス問題と関係していると著者は言う。
どういうことなのかよくわからなかったが、読み進めると京大当局が話し合い路線から転換したのは2017年頃で、当局は寮生を寮から退舎を求め、2019年に提訴したようだ。2019年6月には、監事から2018年度の監査報告書が提出されたが、その報告書が疑念を深めることになったらしい。
監事は元大阪大学副学長と元山口大学学長だった。
監査報告書には、寮の管理を入居者に委ねることは許されないこと、月額400円の時代錯誤的な寄宿寮は納税者の理解が得られない、正規学生以外の入寮を許すような不適切な入寮者選考は改めるべきと書かれていた。
著者はこのことを老朽化問題がすり替えられていると指摘している。
う~ん、それはどうなんだろうか?
国立大学がガバナンス改革により、学長の権限が拡大されたが、監事は学長に直接意見を言うことが出来る。そして、京大ではこの監査報告書が学長の決定を後押ししたという。
京大の立て看問題でも著者は学生側、組合側の立場である。
北海道大学の学長が文部科学大臣によって解任された問題では、解任された原告側の学長の立場でルポを書いている。
私立大学の問題でも著者は被害者側の立場で書いている。
追手門学院大学については元心理学部長を原告とする裁判と、教職員に退職を迫るセミナーを大学が行ったことに対する教職員を原告とする裁判を取り上げている。そのどちらもひどい大学として原告の側からルポしている。
どうも事件の描き方がバランスを欠くように思う。著者は大分放送を経て2016年からフリーランスとして独立したらしい。一応ジャーナリストの訓練は受けているのだろう。

しかし、大学のガバナンスをこの著者はどうとらえているのだろうか?
企業の場合は、執行と監督のバランスで捉えることが多い。
組織が秩序にそった政策を「執行」する運営になっているのかどうか、その執行が手続きで適正なのか恣意的な執行や権力の横暴がないのかどうかきちんと「監督」されているのかどうか。
この本では、権力の執行の恣意性や横暴について描くことが主目的なのだろう。
日本大学の理事長逮捕事件についても文科省のガバナンス改革が再発防止になるのか疑問とは書いている。
しかし、学校法人のガバナンス改革提言が、2021年3月に有識者会議から出され、2021年12月に学校法人ガバナンス改革会議からまた修整したものが出され、さらに2022年3月にまた修正されたことの内容の紹介もない。理事会の上に新たな会議体をつくるようにも書いているが、すでにある評議員会のことであっておそらくこの著者は学校法人のガバナンスの問題点を理解していないのだろう。

しかし、後半に奈良学園の二学部設置認可申請に伴う40人の教員リストラ問題が取り上げられているが、いくつかの学校法人でこういう常識外の運営がされているのも事実だ。

何か問題が起きたら、この本のように原告側からだけのルポが書かれることもありうる。
経営者はそのことも念頭に置きながら経営すべきだろう。

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