書肆じんたろ

読書は著者との対話、知りたいことのseek & find、ひとときの別世界。 真理には到達できないのに人々はそれを求め続ける。世界が何であるかの認識に近づくだけなのに。正しいことより善いことのほうがいいときもある。大切なのは知への愛なのか、痴への愛なのか。

カテゴリ: 教育



N高のメイキング・ストーリー。
この高校のアイデアはドワンゴの取締役の志倉千代丸氏が考えたものだが、役員会で川上量生会長が「うん、やろう」と即決したそうだ。意見を聞かれるまで川上会長はスマホをいじっていたらしい。なんちゅう役員会やねん!
しかし、KADOKAWAの角川歴彦会長はなかなかGOサインを出さなかったらしい。「教育を舐めている」と志倉氏は言われたそうだ。その角川会長も最後はOKした。
中学校で教師をしていた奥平博一氏が好調として、スクーリング本校のある沖縄県伊計島に移り住んで地域の人たちとコミュニティを作ったり、広告代理店で通信教育のマーケティングの経験のある中島武氏が入試広報担当部長に就任したりして、N高の成功の土台ができた。
N高はこれまでの通信制高校と少し違う。
これまでの通信制高校は、今の学校制度に適合しない不登校などの生徒たちの受け皿として、消極的な意味合いが強かったように思う。
しかし、N高は今の学校制度へのアンチテーゼとしての積極的な意味合いを感じる。
アイデアを出した志倉氏は、いろんな仕事を経験する学校にしたかったらしい。中学校の同窓会で卒業アルバムを見たときに、宇宙飛行士とかサッカー選手とかみんなが似たような夢を書いていた。学校ではほとんど職業を知らずに社会人になっている。
N高は伊計島で漁師体験までできる。北海道で酪農体験、山口県でイカ釣り、佐賀県で図書館司書、高野山で僧侶体験、広島県では刀鍛冶、山形県ではマタギ体験まである。
これらはすべてスクーリングとして体験できる。
ネットの学習とスクーリングを目一杯にカリキュラムのなかに詰め込んでいるという印象だ。
遠足はそれぞれがアバターになって、ネット上で体験する。SlackというfacebookみたいなSNSでクラスのコミュニティーができ、コミュニケーションが取れる。そこからLINEに移って交際する生徒もいるらしい。

志倉氏の斬新なアイデア。それを即決する川上会長という次世代の経営者。実験を握るKADOKAWAの資本力。それらが経営の基盤なのだろう。
しかし、沖縄に飛び込む教育者・奥平校長などの教育を変える熱意が集まらなければ実際に運営はできないし、伊計島の人々の協力も得られなかっただろう。廃校になった校舎を教育で活用したいという地元の願いはあったが、最初、東京からの新参者を歓迎していなかった。奥平校長がそこに住むということがなければ成功しなかっただろう。

ドワンゴのニコニコ動画のユーザーに不登校の生徒が多いというマーケティング上の親和性もプラス要因だったらしい。
ドワンゴがどうしてリアルの学校を作るのか?
ニコニコ動画が開拓したユーザーがすでにいたということも背景にある。
他の通信制高校もN高に似たことはできると思う。
しかし、経営と教育、広報すべてがそろっているのがN高なのであって、おそらく追随できるものではない。



じゃあ、なんで組体操をやる学校が増えてなくならないか?
内田良『教育という病』によると、2000年代に入ってブームになったのだとか。
それまで運動会の花形はソーラン節だったのが、組体操の巨大化にシフトチェンジしたらしい。普及に努めているのは、関西体育授業研究会っていう組織。事務局は、大阪教育大学附属池田小学校に置かれている。
池田小学校襲撃殺人事件の後、校舎も改修して学校安全の象徴みたいになっているところに危険の元凶の事務局があるって驚いている。
この研究会への参加者は年々増えている。生徒も教師も、感動、一体感、達成感が味わえるんだと。普及のためのDVDもあるらしい。
事故が起きても、組体操は止めないっていう不思議なことが起きているらしい。
内田氏はこの本で組体操の巨大化は止めて、4人でやる扇で十分って言ってる。やっぱり、組体操はスパッと止めて、欽ちゃんの仮装大賞にすべきだね。

わかるということへの教育学からのアプローチ。
教育学的にわかっている人というのは、
①与えられたものをわかるように変化させて設定し直している
②一見「別の世界」と思える状況をつないでいる
こととか。

わかろうとするのは、何かの経験に没入して、
(1)相手が私を変える
(2)私も相手を変える
という「双原因性感覚」を覚えること。
この経験がないと「わかった」ことにならない。

ブラジルの土産売りの子どもは、十分教育を受けていなくても、自分の生活のためにキャンディ売りで儲かる計算ができるようになっている。

第四章では、プラトンの「探究のパラドクス」が引用されている。

わかるというのは、古代から人びとの永遠の課題なんだろう。

Sience,Technology,Engineering,Arts,Mathematicsの頭文字をとったSTEAM。
新しいヒューマニズムを目的に、イノベーターのマインドセットをもち、デザイン思考の人材が求められているとか。
二人の著者がシリコンバレーでのSTEAM教育を紹介している。
アクティブラーニングとかPBLってここからの発信だったんですね。



「教員需要を決定する要因には、大きく児童生徒数増減、教員退職者数の二つがある」
そう言われればそうですよね。
山崎教授は、児童生徒数と教員の定年退職者数、自主退職者数を重回帰分析して教員需要を推計している。
すると、小中学校を合わせた教員需要のピークは2019年度の約25,000人になった後、2023年には20,000人を割ると見込まれる。そのあと戦後第三の需要低迷期になるんだとか。
この分野の人材養成は、国立大学だけで十分な数になり、手詰まり感があります。



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